Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

2019-01-01から1年間の記事一覧

親のモノを片付けながら(その3)

両親は揃いも揃って荷物が多かった。 たった一泊の家族旅行に行くにも、夜逃げのような大荷物を持って行った。 僻地に行くわけではない。観光地にある日本旅館だ。浴衣、タオル、歯ブラシ…なんでも揃っている。のに、大きな旅行カバンを “一人1個以上” 持っ…

アガサ・クリスティーのように⁉︎

このブログも、今回で50回 (^-^)v 長々しい文章を読んでくださっている皆様、ありがとうございます。 文章を書くのが得意なんですね…と言われそうだけど、実は、私は文章を書くのが大の苦手だった。 国語の時間に原稿用紙を配られると、帰ろうかと本気で思っ…

マインド・ユア・メディスン Part.2

医薬品の乱用が問題になっている。 「今ごろ?」というのが率直な感想だ。 薬剤師の資格を取る前(昭和時代!)、ドラッグストアでアルバイトをしていたことがある。 チェーン店が広まっていない頃、個人経営のドラッグストアだった。 「トランコパール」と…

子泣き爺

夕方、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」の再放送をしている。 二度見るものでもなし…と思っていたけれど、結局楽しみに見てしまっている。 「ラスト・ソング」にも書いた通り、このドラマの主題歌「ありがとう」(by いきものがかり)は父と私のラスト・ソングだ…

車椅子を利用しよう

車椅子は、要介護にならなければ使えないと思われがちだけれど、自治体(社会福祉協議会などであることも)に無料で貸してもらえるし、デパートでもホームセンターでも買える。免許もいらない。誰でも使って良いものだ。 車椅子生活にしてしまうと筋力や気力…

秋空聖地散歩

前々回の築地のほか、我が家にはもう一箇所、「聖地」がある。 父の出生地であり、祖父が長年仕事をした、日本橋だ。 我が家があったのは日本橋室町。三越の向かい側の一角で、かつては日本橋小田原町と呼ばれ、日本橋魚河岸で仕事をする人たちの家が軒を連…

言ってはいけない!

私は、人の記憶の中で太るらしい。 久しぶりに会った人から、必ずのように「痩せた?」と訊かれるのだ。 …いいえ、着実に肥えています。 ときに「ゲソっとした」と言われることも。 …もともとこんな感じです。レディーにそのようなことを言ってはいけません…

秋空聖地巡礼

天高き季節。かつては毎年、この季節になると私は「聖地巡礼」をしていた。 父が育ち、祖父が長年仕事に通い、祖父の葬儀を行い、父と私も数年仕事に通った(職場はそれぞれ違うが)、我が家の聖地、築地参りだ。 場外市場でお昼ごはんを食べた後、季節の食…

親のモノを片付けながら(その2)

(その1)に書いたように、オクトジェ(80代以上)の人たちにとって「モノが増える」のは多幸感の極みだった。彼らは一生懸命にモノを大切にし、身の回りをモノでいっぱいにして幸せを感じた。 だけど現代人の理想は、モノへの拘りを捨てた、モノのない生活…

グルメの妻

「ラスト・ソング」に、父は、食べ物の値段が高いと「舌がビビって」美味しく感じなくなることがあると書いた。 先日、美容師さんと話をしていて、案外この「ビビり舌」のほうが美味しいものを正しく感じているのではないか、ということに気がついた。 10年…

大事なものをなくすということ

あの凄まじかった嵐から一週間。なかなか秋晴れは訪れず、毎日、被害をテレビで見る心の中も長雨続きだ。 屋根近くまで水に浸かった家や倒壊した家屋の映像を見ていると、津波の映像を思い出す。 津波のように全てが無くなってしまうわけではないが、泥だら…

雨漏りのプレリュード

風雨が強くなってきたので1階に避難してきた。 2階は屋根に近いせいもあり風雨の音が凄まじい。おまけに我が家のお向かいではマンション建築中で、何か飛んできそうで怖くなってきた。今晩は父の加齢臭の残る布団で寝ることになりそうだ (*_*) 同じ屋根の下…

総合診療医

「ラスト・ソング」にも書いた通り、父がリウマチ性多発筋痛症を発病した頃、「総合診療医」という番組がテレビで放送されており、人気を博していた。私も、一回も欠かさずに視聴した。 ベテラン医師が交代で、自分の経験した(おそらく病名にたどり着くのに…

病院小咄

昔、聞いた小咄にこんなのがあった。 病院の待合室に集まっている、じいちゃんばあちゃんの会話だ。 「あれ、今日は〇〇さんがいないけど、どうしたんじゃろ?」 「病気じゃないかい?」 老人医療費が無料の時代、どう見ても元気なのに毎日のように病院に集…

続・指輪物語

「ラスト・ソング」に書いたように、私は、両親の婚約指輪を失くしてしまった。 「ラスト・ソング」ではロマンチック(?)な物語をでっち上げたが、実はすごくショックで、申し訳なくて、それを誤魔化したかっただけのことだ。 父は婚約指輪のことなど忘れ…

モンスターの正体

以前、テレビで「カスタマー・ハラスメント」というのをやっていた。 客による理不尽なクレームのせいで従業員が心を病み、離職するという話だった。タクシーの乗客や、飲食業の客、介護サービスの受け手に酷いクレーマーがいるらしい。 これを見ていて、「…

親のモノを片付けながら(その1)

親が残したモノの処分は、子孫にとって頭の痛い問題だ。 現在80代以上の人たち(ここでは90代も含めてオクトジェ=octogenarianと勝手に呼ばせていただこう)は、戦中戦後のモノのない時代に子供時代を過ごし、高度成長期に職に就いた。当時は正社員が多数派…

When Your Muscles Betray You ー 筋肉は裏切らない?(その2)

晩年の父は、落ちるところまで筋肉が落ちた。 タンパク質たっぷりの食事を三食きちんと摂り、リハビリで指定された筋トレやストレッチをコツコツとこなしているのに、まったく形になって現れてこなかった。 「ラストソング」にも書いたが、80歳を過ぎても1日…

スイス流親孝行🇨🇭

20年ほど前、スイス人の友人がいて、泊まりがけで遊びに行ったことがある。 年齢を聞いたことはなかったが、アラフォーくらいだったか。お母さんは他界されており、彼女はボーイフレンドと2人でチューリッヒのアパートに住んでいた。 アパートと言っても日本…

ダーリンの恩返し

晩年の父と私しか知らない人たちは、皆さん、仲の良い親子と思ってくださっていたようだ。 ショートステイの面談に来られたカエデスクエアのナツヤマさんなども、父が飾っていた旅行の写真を見て「家族で行ったんでしょ?」と訊かれたが、父は行きたいところ…

お盆特集「あなたの知らない世界」

世界がデジタル化される前、この季節になると「あなたの知らない世界」というテレビ番組をやっていた。視聴者の霊体験をもとに作られた再現ビデオを放送する番組で、毎年、楽しみに見ていた。 本当だろうと嘘だろうと、怖くて面白ければいいではないか…と思…

究極の健康法

シリアスな話題の後には、楽しくてタメになるお話を。 父は健康オタクだったと「ラスト・ソング」にも書いたが、一時、巷で流行った「飲尿療法」というものに挑戦したこともある。 読んで字の如し、自分の尿を飲む健康法だ。 自分の尿を飲むだけなのだから勝…

死を受け入れる

少し前になるが、在宅医療と在宅死の話をテレビ(NHK BS1)で放送していた。 【タイトルも分からず途中から見始めて、ニュースに中断され、そのまま見るのをやめてしまったので、全部見た方には筋違いのコメントと思われるかもしれません。悪しからず。】 在…

ピンしゃんコロリ

「おくさん、知ってる? 金物屋のおじいちゃんなくなったんだって!」 「えー、ついこの前お店にいたのに。どうしたの?」 「ぽっくり病だって。おとといの朝」 「あらやだ。まだ若かったんじゃない?」 「65ですって」 「そう、あんなに元気だったのにね。…

江戸の花火   

晩年の父は、「仕事は何をされていたんですか?」と尋ねられると、「築地でマグロの仲買をしていたことがあった」と(親しい付き合いをしたい人には)答えることもあった。豊洲移転で注目されていた築地ともあって、皆さん「へぇ~」と興味津々であった。 で…

メガネの宅配

若い頃から目の悪かった父は、生涯にメガネを何個作っただろう。 それも、タレントや俳優のようにオシャレからたくさん作るのではなく、すべて必要に迫られて作ったものだ。 前に書いたように、白内障の手術後、見え方が変わってしまったと言ってメガネをた…

深夜のキャベツ炒め

先の「マインド・ユア・メディスン」では偉そうなことを書いてしまったけれど、私にも苦ーい経験があった。 20年ほど前、母が薬物治療を受けていたときのことだった。 母は大量の薬を投与されていた。メインの薬のほか、副作用を抑える薬がいっぱい入ってい…

A Year After 

「ラスト・ソング」を読んでいただき、ありがとうございます。 泣いてくださった人も多かった。会ったこともない方からお手紙もいただき、恐縮しながらも、こちらの方が感動してしまった。 泣いてくださった方のほとんどは、身近な人の死を経験した人たちで…

ファミリー・ポートレイト

父と過ごした日々についても、葬儀についても、概ね「よし」としている私だけれど、後悔していることが一つある。 ファミリー・ポートレイトを撮っておけばよかったということだ。 父の姉の葬儀に出たとき、彼女の遺影はとても素敵だった。 薄紫色の光に包ま…

夢見たソファ

昭和に建てた以前の家には、祖父、祖母、父、母、私の5人が住んでいたので、母のためのスペースは無いに等しかった。家事の合間に一服したり、やりかけの編み物を置いて家事をして再開できる…そんな空間に母は憧れていたように思う。 私が就職すると、母は…