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「ラスト・ソング」のその後

グルメの妻

「ラスト・ソング」に、父は、食べ物の値段が高いと「舌がビビって」美味しく感じなくなることがあると書いた。

先日、美容師さんと話をしていて、案外この「ビビり舌」のほうが美味しいものを正しく感じているのではないか、ということに気がついた。

 

10年以上前、生キャラメルが流行った。デパートの北海道展ともなると開店前から行列ができた。私も、行列には並ばなかったけれど、2、3回買ったことがある。一粒100円くらい。高いだけのことはあって美味しかったが、父は “舌がビビっ” たのか、「オレは森永ミルクキャラメル(一箱100円)のほうがいい」と言って二度と食べなかった。

ちなみに、生チョコ(特に、黒目川製菓製)には目がなかった。

 

先日、美容院で「あれ(生キャラメルブーム)って何だったんでしょう?」という話題になった。

「今思うと、それほどでも

「高いから美味しい感じがしたのよね

「まあ、確かに口どけとかは美味しかったけど

みたいな。

結局、父の舌に軍配が上がったということか。

 

我々が「美味しい」と言うとき、純粋な味のファクターは案外少なくて、評判や雰囲気、値段といった、味以外の要素が多くを占めているのではないだろうか。

値段が高ければ使う素材も良くなるので美味しいのは当たり前だが、長い行列や待ち時間、ショボい店構えや無愛想な料理人も「美味しい」先入観を与えてくれる。

「美味しい!」と思ってリピーターになっても、最初の感動を引きずっていて、味が落ちても気がつかないことも。

 

明治生まれの祖父は味以外の情報に左右されることのない、ブレのないグルメだった。

父が少年の頃、祖父に連れられて寿司屋に入ったと言う。出てきた寿司を一口食べて、祖父は「これはダメだ」と言って、即、店を出てしまったと言う(お金は払ったと信じたい)。少年だった父は、よほど寿司に未練があったのだろう。70年以上経っていたのに、昨日のことのようにこの話をしてくれた。

 

祖父にとって値段は二の次で、DEFGdelux, expensive, famous and gastronomic)な寿司屋や料亭も、近所のCDEcozy, delicious but economical)な天ぷら屋も同様に贔屓にし、一旦気にいると、とことん付き合った。出前も同様、贔屓のお寿司屋さんに、まるまる出前してもらったこともあった。甘いものにも目がなかった。祖父の法事は築地の料亭、祖父の命日にお供えするスイーツはバラエティに富んでいる。

 

いっぽう、そんな祖父と長年連れ添った祖母の好みはと言うと、まったくのミステリーだ。

女子力の高かった祖母は、他人からいただく物はとにかく喜んだので、ジャムパンとかクリームパンとかを繰り返しいただいていた。明治生まれの人間にとってパンやクリームはご馳走だったのかもしれないが。

グルメの妻よ、本当にこれが好物だったのか?

 

私の作ったお菓子も過剰なほど褒めてくれたので、最後の入院のときにはプリンを手作りして持って行った。これと、父が持って行ったマグロの刺身が、祖母の最後の晩餐になったらしい。

 

今日は祖母の命日。

何をお供えしていいか分からないので、またクリームパンでしょうかね?

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おせい17歳。これからお嫁に行きます!