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「ラスト・ソング」のその後

「ストレスって何だ?」

 

その人を “オンズ” と、伯母は呼んでいた。

オンズは祖父の弟で、伯母の、そして父の叔父だった。

 

祖父とオンズは15歳ほど離れていたらしい。

祖父は若いときに両親を亡くした。オンズには母親の記憶がほんの少しあるにすぎない。その後は祖父母が親代わりとなり、父たちと同じ屋根の下で暮らしていた。

 

父のきょうだいたちから “おじさん” と呼ばれるには若く、オンズと呼ばれていたのだろう。

 

日本橋の家の話は聞いたことがないが、築地の家は3階建で、一家のほか、祖父の店の使用人やら、たくさんの食事を準備するための女中さんやら、多くの人たちが住んでいたという。さぞかし賑やかだったことだろう。

 

祖父が結婚したのが27歳のとき。祖母17歳、オンズは12歳くらいだっただろうか。やんちゃ盛りの上、親がいないのだから、やりたい放題。

警察のお世話にもなったこともあると聞いたことがある。思想的なもので捕まったらしいが、本当にその思想を持っていたというより、若者がエネルギーを持て余して権力に立ち向かう…みたいな、かつての学生運動のようなものだったのではないだろうか。

 

さて、このオンズが後に我が一族で一番有名になった。令和になった今でもWeb上に名前とプロフィールが存在する。

 

以前にも書いたが、魚河岸の仕事は午前中で終わる。

午後は皆さん、趣味に没頭する。祖父は歌舞音曲に多くの時間を費やしたが、オンズは俳句や短歌にハマり、「小倉三郎」や「馬人」という筆名で何冊か本を出版した。魚河岸の風景をうたったものが多いが、母を懐かしむうたなどもある。

 

そして70代の頃、「日本橋魚河岸物語」という本を出版した。

一般には知られていないが、この本は日本橋や築地界隈で飛ぶように売れた(らしい)。

私が築地で仕事をするようになったときはちょうど出版後で、築地に数軒ある本屋の店先に「日本橋魚河岸物語 入荷しました」「売り切れです」という看板が出ていた。つい先日も日本橋の書店に置いてあるのを目撃したので、目立つように置き直してきた。

 

“物語” とあるが、年寄りの思い出話である。写真や挿絵も豊富だが、描写が緻密すぎて、昔の魚河岸を知らないものには読むのが大儀で、私のブログと何ら変わりない(?)

凄いのはこれを(キーボードではなく)肉筆で綴ったということであり、3000円という高値に関わらず3刷だったか5刷だったかまで売れたということだ。

 

またその記憶の正確さと緻密さから、魚河岸を扱った文献や本には頻繁に引用され、講演会も催された。私も聞きに行ったが、スクリプトというものはなく、思いつくままのトークイベント。いきなり英国国歌を歌い出したり(もちろん英語で)、私のブログと何ら変わりない(!)

 

集まったのは日本橋界隈の老舗の主人たち。彼らは目を輝かせて耳を傾けていた。彼らの頭の中にはかつての魚河岸界隈の様子が、生き生きとよみがえっていたのかもしれない。

 

破天荒だったオンズも晩年はすっかり聖人となり、祖父母のもとを頻繁に訪れ、私にも相場以上のお年玉をくれた。法事には必ず顔を出してくれたし、お墓参りもマメにしてくれていた。

 

祖父もオンズも、夭折したきょうだいの分まで健康長寿を楽しんだ。

祖母の法事だっただろうか、オンズがいきなり大声で言ったことがある。

「ストレスってなんだ?」

 

それまでストレス・フリーで順風満帆に見えたオンズの生涯だったが、ストレスは最後にやってきた。

高齢にして、最愛の細君を先に天国に送ることになってしまったのだ。

父と私は、オンズがどれほど落ち込んでいるだろうと心配しながら法事に参加した。

会食の中盤、オンズは突然立ち上がり、大きな声で歌を歌い始めた。

悲しみのあまりオンズの頭のネジが外れてしまったのではないかと、父も私もびっくりした。

が、それはオンズなりの哀悼の言葉だったらしい。歌い終わるとケロっと元のオンズに戻った。

 

細君を送って6年後の2007年12月、オンズも97歳という長寿を全うして亡くなった。

間もなくオンズの息子さんも亡くなり、その後、市場も豊洲へと移転になった。

オンズの著した本は築地市場の資料館に保存され、そのまま豊洲に移転したという。

 

新型コロナウイルスでは、豊洲市場にお店を持つ皆さんも厳しい状況に置かれていることをテレビで知った。

移転が遅れて大変な思いをして、ようやく豊洲に来たと思ったら、コロナ禍で閉店を余儀なくされた店も多いと聞いた。

おうち時間でパスタやらカップ麺やらが売れた反面で、多くの人の足が定食屋や飲み屋から遠のいてしまった。高級魚を食べる宴会もなくなった。国民の胃袋の総容積は変わらないのに、それを満たすのは外国の味のするファストフードが主流となってしまったのだ。

 

市中の飲食店には補償金が降りたが、当初、仲買いは放置されたという。

 

みなさん、おうちでもなるべく魚を食べましょう。

コロナが収束しても、美味しい魚が食べられなくなったら大変です!

ケータリングは魚料理を🍣

パスタを茹でる代わりにロブスターを🦞