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「ラスト・ソング」のその後

親のモノを片付けながら(その2)

(その1)に書いたように、オクトジェ(80代以上)の人たちにとって「モノが増える」のは多幸感の極みだった。彼らは一生懸命にモノを大切にし、身の回りをモノでいっぱいにして幸せを感じた。

 

だけど現代人の理想は、モノへの拘りを捨てた、モノのない生活だったりする。

 

時代劇を見ていると、これぞ現代人の理想!…のような、さっぱりした家に住んでいる。庶民だけではなく、お殿様やお姫様の部屋もすっきりしている。あんなにモノが少なくても豊かな生活ができたんですね!

今、部屋の中を見渡して、江戸時代に存在しなかったものを捨てれば、同じようにスッキリするだろう。でも、それでは不自由で仕方がない。

 

現代になって身の回りのモノが増えたのは、人々の購買意欲を掻き立て、経済を活性化させようとする世の中の風潮が大きな原因ではないかと思う。新しいモノ、オシャレなモノが街には溢れ、すでに持っているモノでもまた欲しくなる…ように仕向けられている。

 

これに抗うには、よほど確固とした考え方がなければならない。

モノのない時代は、モノに対する意識がしっかりしている人ほど多くのモノを所有することができたが、モノが過剰な現代では、モノに対する考え方が確立されている人ほど、モノが少なく、すっきりしているのかもしれない。

お金の有る無しは関係ない(と思う)。我が家の近所のホームレスさんの中にも、身軽な人もいれば、どっさりモノに囲まれている人もいる。結構、贅沢品も持っていたりする。

 

ちょっと前の新聞の「読者相談」欄に、「断捨離ブームにのってモノを捨てすぎて、後悔している」という相談が載っていた。「断捨離」がブームになったのは数年前。類似本がたくさん出た。

なんと、父の書棚からも一冊出てきた!

自分で買ったのだろうか? 本だけあっても片付かないのに。

 

本を読んで安易に共感し、俄か理解しただけでは、断捨離熱が冷めたときに後悔することもあろう。モノの持つ意味、重大性は人によって違うはずなのだから、自分ならではのモノとの付き合い方をじっくりと考え、納得がいったら捨てればいいと思う。簡単にできる人もいれば、時間のかかる人もいる。納得がいかなければ、急いで捨てる必要はない。処分業者に払うお金を残して死ねばいいわけだし。

 

問題意識さえ持っていれば、本を読まなくても、こんまりさんを呼ばなくても、「後悔しない整理法」が見つかるはずだと思う。