Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

大事なものをなくすということ

あの凄まじかった嵐から一週間。なかなか秋晴れは訪れず、毎日、被害をテレビで見る心の中も長雨続きだ。

 

屋根近くまで水に浸かった家や倒壊した家屋の映像を見ていると、津波の映像を思い出す。

津波のように全てが無くなってしまうわけではないが、泥だらけになった家財道具や家を片付けるのも悲しく、辛いことだろう。道路や交通機関の被害も多く、何があっても大丈夫だと思っていたタワーマンションまで被害に遭っているとは驚くばかりだ。

 

テレビに映るみなさんは「命だけでも助かってよかった」と言っておられるけれど、どんなに落ち込んでいられることだろうと思う。

 

母が亡くなったとき、私は公務員で、保健所に勤めていた。

公務員とは礼節を重んじる集団で、職員の家族の葬儀にはマメに積極的に参加する。薄給の若者にとっては金銭的負担も大きい。まだ家族を失うのがどういうことか分かっていないのに、顔と名前が一致しない人なのに、お母さんが亡くなられた、実家のお父様が他界されたと言っては、給料日前でも有無を言わせず集金され、遠隔地まで葬儀に派遣され、正直言ってちょっと迷惑だった。仏様だって、見ず知らずの人たちがたくさん来ては困惑されるだろうに。

 

母が亡くなったときも、それは多くの人たちが来てくれた。素直に嬉しかった。迷惑に思っていた自分を恥じた。

そうやって葬いに来てくれた人の中で、ひときわ熱心に手を合わせてくれた人がいた。

同じ保健所の事務職の、私より一回りほど若い女の子だった。

特に仲良しというではなく、仕事で世話になっていた程度。当時「新人類」という言葉もあったが、いかにも現代っ子でストレートにモノを言う彼女が、無心に手を合わせてくれる姿は、失礼ながら、ちょっと意外だった。苦労知らずに見えていたけれど、彼女は人の死を知っているのだろうかと思った。

 

彼女は、家が火事になって全てを失った経験があったと聞いたことがあった。恐ろしく、落胆した経験だったに違いない。

詳しくは聞かなかったが、家族と死別したことが(おそらく)なくても、大切なものを失うということは人を失うのと同じなのではないかと思った。

 

安らぎの場である家を失うということは父親を失うことに近く、愛情のこもった身の回りのモノを失うということは母親を失うことに等しいことなのかもしれない。

 

彼女の名前は忘れてしまったけれど、じっと手を合わせてくれた姿は今でも、目に焼き付いている。若くして喪失の悲しみを存分に味わうことになり、他人の悲しみに自分の気持ちを重ねることのできる彼女は、今、テレビを見てどう感じているのだろう。

彼女だって、もう中年のオバちゃんのはずだ。

これ以上大切なものを失うことなく、しあわせに生活していてほしい。