昭和50年代に入る頃、新しくできたスーパーマーケットにお客を取られて、小さな商店街は活気を失っていた。
その商店街の端っこに、異国情緒を漂わせるモダンな店が忽然と現れた。
そしてその店に並べられたパンに、誰もが言葉を失った(と思われる)😳
それまでのパン屋に並んでいたコッペパンやメロンパン、あんぱんとは異次元の品揃えだった🥖
空気を含んだ薄いパンの層が何重にも重なり、経験したことのない香りで口の中はいっぱいになった。バターの香りだということは分かったが、当時の日本に蔓延していた脂っこいバター臭とは異なり、軽やかで食欲をそそる香りだった。
今ではデニッシュと誰もが呼ぶ、そこで売られていたパンは、どれもが甘味ベースでありながら決して甘すぎず、バターを使っていながらお腹にもたれず、何個でも食べたいと(おそらく)誰もが思った🥰
パン生地は勿論、組み合わされたカスタードクリームもジャムも、スライスアーモンドまでもが絶品だった。
しかし当然ながら、お安くはなかった。
朝売り出されたパンはお昼には売り切れ、それを買いに行けるのは当時では「主婦」に限られた。家計のやりくりを任されている主婦には、そこのパンを日常的に求めるのはほぼ不可能だった。
それでもその店はファンを集め、遠方から買いに来る人も少なくなかった。
当時、同じ駅の反対側に、やはり異国風のパン屋がオープンし、こちらも人気を博していた。
雑穀やナッツをふんだんに用い、ずっしり重いパンを量り売りで売っていた。
お値段だけ見ると安そうだったけれど、重量があるので、うっかり買うとびっくりするような値段を言われるのが常だった🤪
この二軒が火付役となったのか、近隣に「我こそは」と、パン屋さんが次々とできた。
かつて人気だったチャンピオン番組の舞台になったこともあった📺
パン好きの友人たちから「美味しいパンがしょっちゅう食べられて羨ましい」と言われる度に、「あなたに今プレゼントした、このちっちゃな菓子パン、いくらだと思う?」と声に出かかった🤪
このようなパンを常食としたら「パン破産」してしまう。決して誇張ではない😛
というわけで長年私は、パンに関してのみフードマイレージの高い生活を強いられてきた。
父はコンビニの菓子パンとか、一時人気だったあの限りなく柔らかい食パンが大好きで、そういうのばっかり買ってきたし😅
しかし先日、たまたま「あのパン屋」のウインドウに呼ばれた気がして、何十年かぶりに入ってみた。
店の内部は、そこだけタイムカプセルに包まれていたかのように変わっていなかった。
おいてあるデニッシュパンも、その舌を噛みそうな名称を手書きしてあるプレートも🥐
食パンをトレイに載せ、カウンターに持って行ったとき、その小さな老婦人がかつてこの店を仕切っていた「マダム」だったことに気がついた。
度重なる取材やマスコミ出演もあってか、お高くとまっていたマダムは、何か話しかける(私の家族はすぐに人に話しかける)とお高くとまった返事しかせず、我が家の夕餉の話題ともなっていた、(話しかけなきゃいいんですけどね)👺
マダムの背中もすっかり丸くなり、人間も丸く、腰も低くなっていた。
驚いたことに、値段は安くなっていた…というより、値段が殆ど上がっていないのだ。
私が好きだった食パンはもうないのかと尋ねると、
「毎日2時に焼き上がります。予約してくだされば取っておきますよ」と丁寧な返事をいただいた。
予約はしなかったが、数日後、たまたま2時過ぎにその近くを通ったので店に寄ってみた。
店の中は、若い小綺麗な(一言で言えばセレブっぽい)女性たちでいっぱいだった。
その一人一人に、老婦人は丁寧に接していた。
かつてテレビで見たときは、夜中の2時に出勤してパンを焼き、朝には店に並べると言っていた。
あれから40年以上経つ。職人募集の貼り紙を見かけたこともあった。アルバイトらしき女子がレジに立っていたこともあった。
まったくの推測だが、おそらく午前中に後継者が、昔パンを焼いていた方が午後に焼き上げるのではないだろうか。そしてそれを老婦人が、おそらく人件費ゼロで売っているのではないだろうか。
そうでないと、この物価高にあのお値段は無理でしょう。
久しぶりに食べる食パンの味は変わっていなかった。
本当に美味しいパンは、バターもジャムも、飲み物さえも必要としない🍞
商店街も衰退し、今ではその通りに日常品を買いに来る人はいない💧
それでも、あの店のパンはずっと人々を魅了し、人々に愛され続けてきたのだった。
いつまでもお元気で、お店を続けてください🙇♀️
(今のお値段ならば頻繁に買うこともできそうです…笑)











