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「ラスト・ソング」のその後

医者は見かけが大切

父は、母が病んで以来、母の病気や様々な代替療法・健康法などについて勉強していた。

そのおかげ…というのか、母の主治医に「ご主人はドクターですか?」と訊かれたと、自慢げに喋っていた(お世辞でしょうよ😄)

 

私とて同じようなもの。

私が病気や薬の話をすると、「そういう学校出ていると、いいね」と言われることがある。

が、それは学校とは無関係。

 

そもそも私は記憶力の使用を節約しているし(昭和末期の大学生は勉強しないのがステイタスみたいなものだったし)、私が学生だった頃から薬も医療も変わっているので、学歴は関係ない。

ただし医薬の言葉を聞けば、職業柄ある種の、そしておそらく正確に近いイメージが湧く…それだけの話😜

 

それだけのバックグラウンドを頼りに、父が処方された薬の一つ一つと向き合ってきた…結果にすぎない。

 

そして何より、私自身、若い頃から様々な不調を経験してきた💧

 

学生時代、薬屋でアルバイトをしていたことは以前にも書いた。

そのとき気がついたが、私はハタチという若い身空で、それまで実に多種の売薬を体験していた。

なので、自信を持って「これは効きます」「この薬はこうやって使ってください」とおススメすることができた。

 

後日、「あなたの勧めてくれた薬、効いたわ〜」と感謝されたこともあった(注:薬というものは自信を持って勧めると効くものなのですよ😅)

 

よくよく考えると、人間は健康なほうがハッピーなのだから、医療・健康関係の知識や経験なんてないほうが幸せな人生なのかもしれない。

父だって「ドクターですか?」と訊かれるより「アクターですか?」と訊かれる人生を選びたかっただろう(どっちにしろお世辞でしょうよ😁)

 

だけど、料理人は自分の作った料理を試食することができるが、薬を売っているからと言って、健康なのに薬を片っ端から飲んでみることは…できたとしても、効き目を実感できない。

病や不調は、薬を体験する機会をもらったと考えることもできる💊

 

父の書棚には、病を経験した医師の著した書物が何冊かある。

患者の気持ちは患者にならなければ分からない…ということが書いてあるらしい🧑‍⚕️

医師になるモチベーションが、自身のまたは身近な人の病気だったという人もいる。

名医もいいが、病気によっては気持ちを分かってくれる医師に診てもらいたい。

 

ラーメン屋は恰幅がいいほうが美味しそうだけど🍜、医者にかかるなら、見るからに病弱な先生がオススメ “かも”🦆

(整形外科医は体育会系の先生がオススメです…経験上)

 

 

オマケ💙虚弱なわたしの呼吸器感染症対策。

 

🌿新着☘️右から、腸内環境を整えるバードック(ゴボウ茶)、眼精疲労アイブライト、飲むサラダと言われるマテ茶。

 

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エキナセアのハーブとティーバック

🌱感冒の予防にはタイムのハーブティーで嗽を。

タイムとセージの乾燥ハーブ

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バレリアン(セイヨウカノコソウ)処理が大変なのでサプリメントをオススメします。

「何そんなに持ってるの?」

60〜80年代くらいの映像を見ると、皆さん、荷物が少ない。

映画やドラマもそう。

小さなハンドバッグ1つで街中を歩いていたり、長距離列車に乗っていたり。

 

実際、私の祖父母は旅行に行くにも、夫婦で小さなバッグ1個しか持って行かなかった…覚えがある。

水戸黄門」も、全国行脚していた割には軽装…と、これはドラマですが😄

 

着物が普段着だった頃は、懐やら袂やらに財布や「ハンケチ(と祖母は呼んだ)」は収まったようだし、そもそも「持って歩くべきもの」などなかったのだろう。スマホもペットボトルも📱

 

昭和時代、大きなバッグを持って通勤・通学するのは “ダサ” かった。荷物の多い男はモテなかった。

 

私がオシャレをするようになった頃、「軽薄短小」という言葉が出回り、小さなバッグ(ポシェットと呼んだ)が流行った。

前回のブログを受けて…バッグのたすき掛けがクールになったのはこの頃からだと思う。

私も、お財布と定期券とハンカチとミニサイズのヘアブラシを入れて持ち歩いた。

 

しかし、このような「国民的に持ち物が少なかった時代」にあっても、私が思い出す両親は荷物が多かった(笑)

 

物心ついたばかりの頃ではないかと思う。

母にバッグの中身を聞いたことがあった。母はハンドバッグの他に、必ずもう一つサブバッグ(今で言うエコバッグ)を持ち歩いていたのだ。

幼い私はこんなことを言ったのかもしれない「何そんなに持ってるの?」

 

その中には、数枚のビニール袋(まだレジ袋は存在していなかった)と、濡れおしぼり、ガーゼハンカチ、キャラメル、プラスチックのスプーンなどが入っていた。傘なども入っていたかもしれない🌂

あなたのためよ…と言いながら☺️

 

私がそのようなものを必要としなくなっても、母はサブバッグを必ず持ち歩いていたし、我が家の旅行となると1泊でも、他の家族の3泊分くらいの荷物があった。

 

そして私が職に就いてみると、私も荷物が多かった(笑)

「何そんなに持ってるの?」と言われ、減らそうと何度も検討を重ねたが、私にとって全てが必需品だった🐏

 

たっぷり入るのに少なく見えるバッグを追い求め、あるブランドに辿り着いた。このブランドのバッグは今、リサイクルショップに持って行くと高値で売れる🤪

 

近年、人々の荷物は増えた。

手ぶらで歩いている人は殆どいない。通勤シーンでも、バッグの2個もち、3個持ちは珍しくない🎒

「何そんなに持ってるの?」

 

通信機能だけでなく、財布、電車内の暇つぶし、カメラ、地図、鏡…全部スマホに入っているし、あちこちにコンビニがある。さらにペーパーレスで、おそらく紙製品を持ち歩く人も少ないはずなのに🙄

 

この世の中にあっては、我が家も荷物の少ない部類に入ってしまうかもしれない。

実際、バッグ選びに苦労することもなくなった🛍️

エコバッグも、オシャレなものが溢れている。

 

我が家は、地球上に降り立つのがちょっと早かったのカモ⁉️

80年代ファッション・アゲイン👗

ここ数年、ダボファッション流行り。

生涯幼児体型の私としては大助かり❣️

のはずだけど🤥

私が着るとズルズルファッション💧

 

遡ることウン十年。

ボディコン、肩パッドが流行した頃

流行が収束しつつあったんだか、気分転換だったか、私はふわっとしたギャザースカートを履いて職場に行った。

 

と、普段は挨拶くらいしかしない「お局様」(と言っても今の私よりうんと若い)がつかつかと寄って来て言った。

「あなたはダボッとしたの、着ちゃダメ。もっとシュッとした格好しないと」

 

突然のことで驚いたが😳、みょーに納得してしまった。

鏡を見ると、溶けかけた雪だるま⛄️みたいな私がいた💧

 

以来、ダボ・フワ服を着て鏡を見るたびに彼女の言葉がよみがえる。

 

歴史は繰り返す。

今年のようなシルエットのファッションは昔も流行ったことがあり、その頃編んだ手編みのセーターが息を吹き返したりしている。

 

が、当時は今に比べてずっと寒かった🧊

機能性インナーというものもなく、唯一厚手のセーターが、寒がりの私の味方だった🐻‍❄️

 

しかし今は環境全体が暖かいし、下着もタイツも暖かい機能のあるものを着ているので手編みのセーターは私でも🥵

ということで、結局、手編みもあまり着ていない。

 

私が繰り返してほしいファッションは、肩パッドブーム。

かつて肩パッドはコート、セーター、ブラウス/シャツにまで付いていて、特にアウターやセーターでもちょい高のものに付いている肩パッドはデラックスだった。

 

が、「超なで肩」の私は3枚くらいまで重ねても、全然OK🤗

ショルダーバッグ(注)がずり落ちなくて、むしろハッピー🥰

当時は男性のスーツにも肩パッドが縫い込まれており、超なで肩の我が父も男前😁

 

(注:当時バッグのたすき掛けは、幼稚園児か地方から出て来たばかりの人たちのもので、都会のオンナは真っ直ぐにかけていた👜

 

80年代ファッションを今、テレビなどで見るとすごく滑稽だが、わたし的にはちょっと懐かしかったりする。

しかし実際に流行ったところで、それが似合う私はここにはいない💧