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「ラスト・ソング」のその後

紳士&淑女はパーティーがお好き?

昭和時代、海外生活のエッセイ本が流行した。

ご主人の仕事などで欧米に渡った女性たちが、異文化の中での暮らしについて語った本に、多くの日本人が引き付けられた。そこに描かれる欧米は、古いもの、美しいものを大切にし、生活様式も洗練されていて、いつか自分もこのような暮らしを体験してみたいものだと思ったものだ。

 

「大人の国イギリスと子どもの国日本」「ひ弱な男とフワフワした女の国日本」「ゆとりの国イギリスと成金の国日本」…、まあよくこんなに自国民を貶めるような…と思うタイトルの本が売れていた。

高度成長を遂げ、先進国の仲間入りをしたものの今ひとつ自信が持てなかった、そんな当時の日本人の反省材料として受け入れられたのかもしれない。

 

今思うと、これらの本を書いたのは、戦後に外国で「暮らす」ことができ、さらに売れることを見込んでそれなりの文章を書くことができたのだから、かなり特殊な人たちだったのだろう。つまり描かれる世界も、一般欧米人のものではなく、特権階級の生活だったのだ。

 

生活までとは言わずとも、自分の目で外国を見てみると、そのような本では脇に押しやられたような普通の人たち、さらにはそれ以下の生活をしている人たちがいて、決して外国人が「大人」で「ゆとりがある」わけではないことも分かってきた。

 

方向音痴の私は移民街の真ん中で道に迷ったこともあったし、路上で眠る人もたくさん目にした。どこへ行ってもテレビを必ず見る私は、言葉が分からなくとも、どの国もそれほど良いことばかりではなさそうなことが理解できるようになった。

 

クローリー伯爵だって、カメラのまわっていないところでは音を立てて鼻をかみ、廊下ではメイドに故意に接触し、部屋にはゴミを散らかしていたかもしれない。貴族イコール品行方正とは限らない。

 

イギリスでは、ロックダウンされているのに毎日5〜6万人もの新型コロナウイルス感染者が出ているニュースを聞く。変異種も発見されて、ロックダウンをすり抜ける感染力とはどんなものだろうと議論の的になっている。

でも、私はこのニュースに懐疑的だ。

 

テレビ画面には、店を閉じたロンドンの街が連日、映し出される。

が、これらはリージェントストリート、オックスフォードストリート、ピカデリーサーカスと呼ばれる、日本で言えば銀座や渋谷のような街で、大型の有名店が軒を並べているところ。従来であれば観光客、かつては「英国貴族」がお買い物をしたところばかりだ。暮らすための街ではない。

 

全くの私見になるけれど、住宅街にある小さな食料品店やパブなどは営業中で、そこには普通の人たちや仕事をなくした移民たちが、ひょっとしたら集ってビールを飲みながら長い1日を過ごしているのではないだろうか?

 

クリスマスには親戚、友人集まってパーティーを催したであろうことは、容易に想像がつく。レディーズ・アンド・ジェントルメンはパーティーが大っ好きなのだ。

 

そもそもイギリスの建物は風通し悪くできている。マスクだって、電車やスーパーの中ではしていても、それ以外ではどうだか。

 

また、変異種が「発見」されたのはイギリスだが、これはイギリスでは検査が特に綿密になされていたからで、発生源はイギリスとは限らない。なので、イギリスだけ鎖国をしても封じ込めることにはならない。

 

さらに、イギリスの変異種の感染性が従来の株より70%高い “とされている” というニュース。

従来種と変異種を同数、箱に入れて、その箱にヒトを入れて感染性を調べた…わけでは決してない。

単に現在の罹患者数から割り出した再生産数が7割高かっただけの話と思われる。

たとえば、パブやら自宅やらで集って飲んでいる人たちの間でそのような株が広まれば、再生産数は一気に跳ね上がる。

 

第一波では大人しくおうちにいた日本人たちでさえ、今回は、のこのこ歩き回っている。レオタード屋のバーゲンは盛況だった。何で知っているかって?私も参加したからだ 。

 

外国人だって同じこと。規制がどんなに厳しくても網の目をくぐり抜けてどこかで移しあっているのではないか?

そんなことを考えてしまう。

 

確かにウイルスの感染性も上がっているのかもしれない。

でもテレビのニュースを前にしてぶるぶる震える前に、ちょっと想像をめぐらせて我が身を顧みるのもアリかも。

(ごめんなさい。もうバーゲン行きません m(_ _)m)

欧米の方たちは、「皆がマスクを進んでする日本でも蔓延する、マスクをすり抜ける株」を恐れているかもしれない。

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喉のマクロファージを活性化させると言われるニッキ飴。

 

鶴の顔 

父と私は顔が似ていた。父と私の作る折り鶴の顔までそっくりだった。

シャープ(端正)な顔立ちとは程遠い、グシャっとした顔になってしまう。不器用で細いところがキレイに折れないのだ。

 

スイス人の友人に折り紙を教えたとき、彼女が “人生で初めて折った” 折り鶴の顔がシャープだったのに、私は愕然とした。初めて折ってもきちんと折れる人はいるのだ…と。

 

父は70代の頃、たまたま通っていた老人のサークルで「折り紙をやろう」ということになり、講師を呼び、毎週のように折り紙を折り、家に帰ってから数時間、復習をしていた。

 

私も、その数年前に折り紙にハマった経験があったので、分からないと相談されては一緒に折った。最初は鶴とか兜とか風車だったのが、複雑な動物となり、箱となり、さらにはお正月飾りを作ったり、サッカーボールを作ってきたこともあった。

ここまでくると、感心するしかなくなる。

 

ということで父の部屋には、その頃の作品やら、折り方図やら、折り紙やらが一緒になって大量に残されていたので、上手くできた作品や使えそうな折り紙だけを取っておいた。

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初期の作品

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ちょっと上達?

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最高傑作?サッカーボール。

先日、スイスに住む友人と15年以上ぶりに連絡を取ることができた。自粛時にせっせと参拝した明治神宮の御利益…のようでもあった。

なんと彼女は、私が教えた折り紙をまだ続けているそうだ。作品の写メを送ってくれた。

手の込んだ作品の数々が画面いっぱいに並んでいた。

 

彼女はイギリス人の旦那さまとスイスで暮らしていたが、その旦那さまは病気療養中だと言う。彼女は、「私は絶対にコロナにかかれない」と、大きなプレッシャーの下にいた。

旦那さまのお世話になっているインスティチュート(どういうものを意味するかは不明)に千羽鶴を飾ったり、子供たち相手に折り紙を教えることもあるという。

 

私は、父が残した折り紙の中から外国では手に入らなさそうなものをちょっとだけ、クリスマスプレゼントとして送ることにした。父の蔵書の山から折り紙の本を探し出し、ツリーを折ってカードを作った。父の残したガラクタ遺産が彼女の心の支えになってもらえれば、父も私もこの上なく嬉しい。

 

今までは親の介護のことばかり考えていたけれど、配偶者の介護で悩む年齢にさしかかってもいるのを感じた。二人っきりだとなおさら、親の介護よりずっと気が滅入ることだろう。

 

彼女のためにも、ウイルスの弱毒化変異を願わずにいられない。

折り紙でアマビエさま、作ってみようか。

 

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ウインター・ワンダーランド。私の新作です。

 

姑息な!?

父は、電車に乗るとき、端っこの車両には絶対に乗らなかった。

(我が家の最寄駅はどれも、1両目の近くに改札口があったというのに。)

路線バスにも乗ろうとしなかった。

常に水を持ち歩き、特に夜中に目覚めたとき、お風呂に入る前は必ず飲んでいた。

 

理由は言わなかったが、私には分かる。

“危機管理” である。

 

新聞3紙を熟読し、新聞を読みながらテレビの情報番組に耳を傾けていた。

父なりに情報を取り入れ、その中で “安全に” 長生きできる方法を確立していたのだと思う。功を奏したかどうかは不明だが、私の知らないバージョンもきっと沢山あって、その積み重ねが長寿につながったのかもしれない。

向こう見ずのように見えたが、そもそも危ないところには近づかなかったのだ。

 

私も同じことをしている…かもしれない。

災害や事故のあったとき、職場の人や友人に、「実はこういうことをしているんだ」「こういうものを持って歩いているんだ」と打ち明けると、「姑息な!」「周到!」「したたかな!」と言われた。

 

面と向かって言われて気持ちの良い言葉ではない。たとえ目が笑っていたとしても。

おそらく、ズボラでボーッと生きているようにしか見えない私が、意外にも、それも普通は考えられない対策をしていたので、皆さん驚かれたのだろう。私は「姑息」とは程遠いお人好しだと自覚しているのだが。

 

私も新型コロナウイルス対策は、もちろんしている “つもり”。

でも、手洗いは杜撰だし(あまりよく洗うと指紋が消えちゃう)、マスクからはときに鼻が覗いているし、ハンドサニタイザーは持ち歩いていたが、気がついたらアルコール分が揮発していた。

ペットボトルの蓋を落としても拾ってまた嵌めちゃうし、電車のつり革にもしっかりつかまる。

 

そんな私の “姑息なる対策” は、密かなる情報収集である😜

一緒に生活している人がいるとしたら「ナニ、その習慣⁉︎」「姑息〜!」と言われそうなことだらけだ。そう言ってくれる人がいないのが残念。

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寒さとウイルスを同時に防ぐオーバーマスク。銀行に入るときは、ちょっと下げてネックウォーマーに(そのまま入ると警備員にマークされます)。

一つだけ私の「対策」を紹介しましょう。

 

感染者数が毎日発表されますが、私は(前にも書いたかもしれませんが)数には “さほど” 執着していません。ただPCR検査の陽性率に注目しています。

が、最近、PCR陽性率も7%を超えてきた…ということで、最近は “なるべく” 家の外のトイレに入らないようにしています。

 

尿は基本的に無菌なので、男性の方が立ってする分には感染リスクはゼロですが、(これも前に書いたと思いますが)感染者の糞便には多量のウイルスが含まれています。汲み取り式や和式のトイレであれば危険性は低いのですが、洋式の場合、蓋をしないで流すとそこら辺にウイルスが飛び散り💦個室のあちこちに付着します。

なので、不特定多数の人が使うトイレには、私のように不注意な人間は入らないに越したことはないのです。自分が感染者の場合も、見ず知らずの方々に感染の場を提供することになりますし。

 

完璧に手を洗うことができる方は、我慢せずに用を足してください。

Go To 築地

今年3月3日のブログの写真に写っているのは、築地にある鶏肉店である。

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3月3日撮影、築地の鶏肉店。

第二次大戦前の建物で、青緑色に見えるのは銅板を貼ってあるためだという。

この辺りの建物はこういう造りの建物がほとんどだったようで、今でも数件残っている。

 

父の育った家はこのすぐ近所だったという。

一度連れて行ってもらったことがあったが、正確な位置は忘れてしまった。隣だかお向かいだったかが料亭で、窓越しに芸者さんが見えたと言っていた。小学校の同級生は魚屋の倅か芸者の息子だったそうだ。

聖路加病院が近いため、この辺りは空襲を免れた…が、なぜか父の家の辺りだけ爆撃されてしまったと言う。B29のパイロットの気まぐれみたいなものだったらしい。ホント、運が悪い。

 

[ちなみに、聖路加病院を爆撃しなかったのはチャペルの十字架のおかげというより、戦争後、ここを進駐軍が使おうという魂胆があったからだ。実際、この辺りは戦後、外国人の居留地となり、市場のあった場所には外国人向けのクリーニング施設などがあったという。]

 

住む家を失った父の一家は、一時、親戚の家に身を寄せ、後に今、私が住んでいる家のある場所の土地を買ったと言う。当時は牧場や農地で馬や牛の糞がゴロゴロ転がっていて、芸者がそこら辺を歩いていた築地からすると、だいぶ田舎に来てしまった感があったらしい。祖父も通勤が遠くなって大変だっただろう。

 

さて、写真に写っている鶏肉店の話だけれど、ここの鶏肉はとにかく美味い❣️

どこかで特別に育てた鶏だけを仕入れ、ここでさばく。午前中に側を通りかかると、鶏肉を処理しているところが窓越しに見える(おそらく今でも)。

そしてここの鶏肉は、有名レストランや料亭が買いに来るほか、贈答用にもなる。

 

私の幼い頃も、祖父母を訪ねてくる人たちが、ときにお土産として、経木の大箱に入った鶏肉の詰合せを持ってきてくれて、その日の夕食は「鳥スキ」だった。子供の頃は分からなかったが、大人になってから食べてみると、鶏の味と香りがスーパーのものと比べ物にならないくらい濃厚だ。ここだけで売っている鶏肉のタタキなど、考えただけでヨダレが出てしまう🤤

 

もちろん自宅用に少量買うこともできる。前回のお茶同様、築地は多くの飲食店が仕入れに来る。高級店もだが、安いお店からも買いに来るので、売値は決して高くないのだ。

 

さて、少年時代の父は鶏肉が食べられなかったと言う。

昔はこの店のそばでニワトリを飼っていて、少年の父が見ていると、店の人が(おそらくわざと)そこにいるニワトリの首をポンとはね、首なしのニワトリが歩いている姿を見せられたからだそうだ。

今ではそんなことがないので、安心してください。

 

この店のすぐ近所には同じ屋号のウナギ屋がある。ここのウナギも美味しい。

特にメニューに載っていない「ウナ丼」が安くて美味しい。

 

かつて12月になると築地市場は一般の日本人で賑わった。

鰹節や出汁昆布、イクラや刺身など年越しの必需品に、贈答用のお茶や鮭…、大量に買い込む人たちで狭い道が溢れていた。

ここ数年、観光地化して、お土産屋さんや “バエる” 店ばかり増えてしまったが、東京オリンピックが( やってもやらなくても)終わればこの一帯はまた大きな変化にさらされる。

今冬は従来の雰囲気を感じられる最終シーズンになるかもしれない。

 

今年の年末は築地へGo!

もちろん、ウイルス対策は十分に行なってください。

母のおねだり

母は、長きにわたり “おいしいお茶” を探求していた。

 

単においしいだけだったらデパートにでも行って高ーいお茶の葉を買ってくればいいのだが、母が求めていたお茶はそうではなく、「普段使いのおいしいお茶」だった。

 

これがあるようでなくて、出会うまで時間が長くかかった。

 

そしてそのゴールは、私の転勤先の築地にあった。

魚河岸茶(仮名)である。

 

新しい勤務先で出されたお茶に、私は驚いた。

職場でこんな美味しいお茶が飲めるとは!

私は早速買って帰った。母はとても嬉しそうだった。以来、我が家のお茶は魚河岸茶ひとすじである。

 

魚河岸茶は、最初は築地の場外市場に、お寿司屋さんなどのために出来た店だったと言う。

私が出会ったときは、駅のそばに小さなお店ができた頃だったが、店番の人が一人しかいなかったため、お昼は休んでしまうし、夕方もこちらが定時に帰らないとお店が閉まっていた。土日ももちろん休みだった。

 

我が家がファンになる頃から、巷にもファンが増え、道路を挟んだ向かい側に新しいお店ができた。

私が職場を去る頃は銀座にも店ができた。コロナ前は外国人も買いに来ていた。

 

お茶の種類も増えた。

他のメーカーと違うのは、安いもののほうがおいしいということだ。

一度、高いものを買ってみたが、デパ地下のお茶と変わりなかった。

また、同じ名称のお茶でも、買う時期によって味が全然違う。

新茶の季節には青い味がするが、夏とともに味が濃くなり、晩秋のお茶はまったりと味が濃い。

 

冷茶のティーバッグも売り出された。

これを一度買うと、ペットボトルのお茶を買う気にならないくらい美味しい。

が、味を引き出すには徹底的に攪拌しなければならず、ひと様にあげるときには長々しい説明が必要になる。

 

ここのところ私がハマっているのが、和紅茶だ。

渋くなく、苦くなく、ミルクともレモンとも合うが、ストレートでもとても美味しい。

ポットに入れて持ち歩いても味が変わらず、一日美味しく飲める。

 

このお店は、行くと必ず一杯、その日のオススメのお茶を入れてくれる。

実は、私の中では銀座の支那麺(10月21日ブログ)とセットになっていて、我が家のお茶葉が切れるとラーメンを食べに行く。ラーメンを食べた後に立ち寄り、お茶をいただく。

 

「これといってお供えはいらないけれど、お茶だけは供えてね」の言葉を律儀に守り続けて20年。仏様用のお茶のほかに、母の湯呑みに毎日、魚河岸茶をいれて手を合わせる。

 

誕生日や母の日に「何がほしい?」と聞いても、モノをリクエストされることは滅多になかった。

魚河岸茶は、お金で買えるものでなく心を大切にした、母の最後のおねだり。

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魚河岸茶

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魚河岸和紅茶

 

どこかの空の下で

父の友人が山登りに行って帰ってこないと、ご家族から連絡を受けたのは、20年前の今頃だった。

仲の良い友人だったようで、その後、父も目的地近くの駅で毎週末、「尋ね人」のビラ配りをしていた。

 

変わり果てた姿の友人が発見されたのは、年が明け、暖かくなってからだったと思う。

山登りと言っても、ハイキングコース程度のやさしい山。それも何度も行ったことがあったコースだったので、紅葉を見にぷらっと一人で出かけられたようだ。

 

彼が生きていたら、父ももっと山登りをしたかったのではないかと思う。

彼と一緒に、そして一人でぷらっと。

 

以後、父は一人で高尾山以外の山に登ることはなかった。

その代わり一人でツアーに参加して、温泉によく行っていた。

ツアーだと家族も安心できる。私も「尋ね人」のビラ配りはしたくなかったし、父もツアーを存分に楽しんでいたようだ。

 

ツアー会社にもいろいろ特徴があるが、父は自分にぴったりの、しかも温泉に特化したツアーをたくさん企画している会社を見つけて、マメに参加していた。

みんな、中毒のように旅行に行っているんだよ…とよく言っていた。

 

父が亡くなってからもパンフレットが律儀に毎月送られてきていたので、私宛に送ってもらうよう連絡し、何度か参加した。ただし私は温泉ではなく普通のツアーである。

 

結構楽しい。知らない土地にも気軽に行けるし、個人で行くより安くあがる。

女性の場合は、一泊すると名前も知らぬまま旧知の仲さながらになれる。バスの中など、修学旅行を思わせる賑やかさだ。

ときに超マイペースな人もいるが、それはそれで勝手に喋っていてもらうと結構楽しいし、人生勉強になる。

ツアーが終われば他人同士。多少のことでも安心して喋れるし、こちらも笑って聞き流せるのだ。

 

気がつくと、私はいつもトイレの外で高齢者を待っていたりする。祖母や、年老いた父との外出が多かった後遺症かもしれない。

私が高齢者になったら、誰か、トイレで私を待っていてくれるのだろうか?

それとも、私がもっと高齢の人を待っているのだろうか?

 

海外も行った。今までは殆ど個人旅行だったが、ツアーも快適だ。

 

お酒に弱い私。食事のときなど、ひと口くらいは飲みたいのだけれど、たくさん飲むと酔っ払ってしまう。しかも外国で出されるお酒の単位は日本よりずっと多い。

 

一人で行っていたときは、飲まないか、残すのを覚悟で注文するしかなかったが、ツアーで行くと、必ず一人はお酒好き♡がいる。食事のときはその人の近くに席を取り、飲めない分を飲んでもらう。まさに共利共生。

 

旅行(だけ)が生き甲斐の人たち、今頃どうしているだろう?

桜の柄のスーツケースのチェリーさん、お気に入りのカメラに何を収めているのだろう?

海外旅行ホリックの仲良し3世代一家は、溢れるパワーを何に費しているのだろう?

クルーズ船マニアのナオちゃん&リッちゃん、休暇をどうやって過ごしているのだろう?

 

旅行のために仕事をしていた人が、旅行に行けなくなって勤労意欲を喪失し、人生の意味まで見失ってしまったという話も聞いた。

好きなことの「代理」など、簡単には見つからない。

 

世界の感染状況が放送されるのを見て、航空会社の赤字のニュースを聞いて、心をいためているのは私だけではないはずだ。

飛行機や船がサビだらけになって、パイロットさんや添乗員さんが皆、引退してしまったら、次の旅行は誰が連れて行ってくれるのだろう? 

 

飛行機に乗って「今日は機長ともども3年ぶりのフライトです」なんてアナウンスがあったら!?

 

バスに乗ったら、運転手さんが皆リタイアされて…と、無人の自動運転バスだったら!?

 

航空会社さん、旅行会社さん、バス会社さん、どうか頑張って乗り切ってください。

旅好きのみなさん、またどこかの空の下でお会いできる日まで❣️ 

 

What is ウスターソース?

かつて日本の食卓には、ソースと醤油のビンが常備されていた。

家庭だけでなく、学食、社食、デパートの大食堂…。

 

ウスターソースを、父は何にでもかけた。

味見をせずにかけてしまうので、私が文句を言ったこともある。

これは父に限ったことではなく、昭和の雑誌や新聞にはそういうオヤジの話がよく載っていた。

 

父は、ハンバーグやオムレツなどの洋食のほか、焼売や青椒肉絲にもかけたがり、半熟の目玉焼きにかけるのがお気に入りだった。ソースせんべいという、醤油の代わりにソースを塗った堅焼き煎餅をアンテナショップで見つけたときは、子供のように喜んでいた。

 

今になって思うと、父が少年だった頃に戦争が終わり、食事が西洋化した。その時に入ってきたソースに、新しい、ハイカラなものを感じたのではないだろうか。千切りキャベツにソースをかけるだけで洋風を感じることができた…みたいな。

なので、父の世代の人たちは、ウスターソースと一緒に少年時代のワクワク感やノスタルジアを料理にかけて味わっていたのかもしれない。

 

父の亡き後、我が家のソースはめっきり減らなくなった。

気がつくと賞味期限をとっくに過ぎていたので、新しいものを買いに行った。

同じサイズだとまた残ってしまうので、昔お弁当用に買っていた小さなサイズのものを探したが、ウスターソースはサイズのバリエーションがなかった。

 

どうやらウスターソースは、以前ほど人気がなくなっているらしい。

 

今は、料理にかけるものはソース以外にたくさんある。私はレモンやカボスの果汁をよくかける。ポン酢やニンニク醤油も使うし、ドレッシングも数種揃えてある。お惣菜やお弁当を買って来れば、それに合うソースがついている。

ウスターソースを常備しなくとも、何一つ困らない。

 

昭和時代に遡り、初めて海外(北米大陸)旅行に行ったとき、外国にはソースがないんだよ…と言われて驚いた。

トンカツを食べる時はどうするのだろうと思ったが、北米の食卓にトンカツが並ぶことはなかった。

“本物の洋食” を食べるときは、ウスターソースを使わないのだろうか…不思議だった。

 

その後、ウスターソースについて深く考えをめぐらせることはなかった。

やきそば、たこ焼き、お好み焼き、トンカツ…、ソースの合う料理はどれも日本料理だということから、日本人が醤油をヒントにして発明したんじゃないかとさえ思った。

 

それから数年後、初めてイギリスに行ったとき、レストランなどにウスターソースが常備してあるのを見て、ウスターソースの故郷はイギリスだということを知った。

どうやらウスターソースは、北米大陸より距離の遠い日本のほうに伝わってきたらしい。

 

しかし、その後イギリスに行ってもウスターソースをかけたくなるような料理に出会ったことがない。

が、中華料理屋に入ったとき、春巻にウスターソースがついてきたことがあった。

イギリスでは中華にウスターソースが使われている “らしい”(?)

餃子にもかけちゃうのだろうか? 謎は未だ解明されていない。