Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

2022-01-01から1年間の記事一覧

雑談は力なり

私の2番目の職場では、今の季節になると暇を持て余していた とりあえず掃除をしたり、器具や消耗品を準備したり…。 女ばかりの職場、そんな時もずうっと口は動いていた。 ときに違う部署の女性たちが、わざわざ「飛沫を飛ばしに」やってきた(あの頃はよく風…

モグラ叩き検査

ウイルスの弱毒化とともに医者が混んできた。 年2回、検査に行っている眼科医院はじいちゃんばあちゃんで満員御礼 歯医者も、予約を入れたら2週間待たされた 歯医者というものは、が痛くなってから予約するものなので、皆さん困っていることだろう。 さて、…

老化と睡眠力

前にも書いた通り、私は幼少時から寝つきが悪い 父はというと、コロリと寝つき、ぐっすり眠るタチだった ここだけ遺伝しなかったんだ…とずっと思っていた。 しかしそうではなかったらしい。 父が生まれ育った家では、朝が早かった。 家には番頭さんやら女中…

「四季の寺」

本土寺に行って来た。 本土寺は、母がまだ元気だった頃、夫婦で紫陽花の季節に行ったらしい。 おそらく菖蒲も咲きほこっていたのではないだろうか。 母が亡くなってすぐの12月、私は父に誘われてそこに行った。 紅葉が見頃で、燃えるように美しかった。 その…

美人薄命

「お年賀辞退」のハガキが届く時期 今年はたったの2枚。95歳のお母様と、88歳のお義母様だった 友人の死を知らせる喪中ハガキが届くようになったのは、かれこれ10年ほど前からだった。 最初は高校時代の友人A子。 次に会社の同期のB子。 そして、今年は遠方…

おじいちゃんは鳥人間

嗜好や価値観の違う人間と一つ屋根の下に住むことは自分の人生の幅を広げてくれる。 …ということを、父との生活で実感した。 例えば、夕食時のテレビも、自分では選ばないような番組をたくさん見た(見させられた)。 拳闘や戦争映画はノーモアサンキューだ…

ハロウィン小史🎃

私がハロウィンを知ったのは、昭和40年代、「ピーナッツ」という漫画だった。 《英語が読めるようになった今、読み返すとさらに面白い❣️》 スヌーピーとチャーリーブラウンで知られるその漫画は、日本でも人気を集めていた。 ポピュラーだったコミック漫画と…

築地バーチャル散歩

今日は文字通り、雲ひとつない青空だった。 こんな日は、築地が恋しくなる。 でも、「開国」された今、外国人観光客で混んでいるんだろうな。 …ということで今回は、私の思い出の中にある築地場外市場。 たったのふた昔〜三昔前(ひと昔=10年として)のお話…

自転車営業と自転車操業

私の住むところは「デリバリー困難区域」でもあった。 幹線道路と踏切に囲まれ、我が家のある区域だけ店が極度に少ない。 道路を渡るにはまず、階段なり坂道なりを上がってこなければならない。 蕎麦や寿司と言った店屋(テンヤ)物を配達するのは大抵バイク…

ブランド好きの姉と堅実な妹

1960年、東京都が新宿副都心計画を発表した翌年、新宿駅西口に2つのデパートが誕生した。 京王百貨店と小田急百貨店だった。 2つのデパートは時には競い合い、時には助け合って成長した。 池袋の西武と東武、銀座の三越と松屋、渋谷の東急と西武…etc. 叶姉妹…

55歳の老朽化🏬

小田急百貨店新宿店が取り壊される これから7年の予定で工事が始まる。真正面にあったビル3棟も工事中。何年か後にはミロードや京王百貨店も壊すらしい…よ。 高度成長期に生まれた私は、工事現場に囲まれて育った。 小学校の6年間、木造校舎2棟が鉄筋に建て…

3年ぶり

3年ぶりに八幡様のお祭りが開催されることになった。 今年は異例の3日連続。神輿は23、24日の予定だ。 が、天気予報は☔️ 22日は辛うじて実施されたので、雨の降らないうちに行ってきた。 かつては階段脇から階段の下、境内のニッチから神社外の裏道にまで出…

電気屋のお兄ちゃん

今は買物困難区域とも言えるこの界隈だけど、かつては賑わいのある商店街が3つも4つもあった。 我が家はその中でも、今では一番寂れてしまった商店街を最も頻繁に利用していた。 私の記憶の中で、その商店街は写真屋と「洗い張り屋」に始まり、背広の仕立て…

植物薬物語🌿

「カミツレっていうお花のお茶があって、眠れないときにいいんだって」 私が中学〜高校生くらいの頃、ワクワクした声で母が私に囁いた。 前にも書いたけれど、私は赤ん坊の頃から寝つきが悪い。 まだ「ハーブティー」という言葉もなかった時代、婦人雑誌だか…

雨女の回想録🍬

ここのところ洪水が多い。 「緊急避難警報」の言葉を頻繁に耳にする。 被災地の方々には、お見舞い申し上げます‍♀️ 昭和の夏は天気が安定していた…と思うのは私だけではないはずだ。 安定しすぎて(晴れ続きで)「水不足」「渇水」という言葉が頻繁に聞かれ…

海辺の別荘

父が80歳を超えた頃だっただろうか、「海が見たい」と言って、江ノ島行きロマンスカーの切符を2枚買って来たことがあった。 覚えている限り、これが最初で最後の、父と私の二人旅だった。 海のシーズンのちょっと前の平日だった。心ゆくまで海を見て、水族館…

イレジスティブル

父の遺したもので文房具屋がひらけそうだ 夥しい量の筆記具、クリップやアクリル定規、絵葉書箋、レポート用紙にクリアファイル、折り紙にスケッチブック…。 見ると買わずにいられなかったらしい。 文房具屋の店先に現れた、新発売のペン 試し書きしてみると…

こっこちゃん

「こっこちゃん」と、幼い私は一番上のいとこを呼んでいた。 家族以外で初めて私が口にした固有名詞ではないかと思う。 こっこちゃんとはひとまわり以上の年の差があって、私が物心つく頃、こっこちゃんはすでに「お勤め」していた。 お勤め帰りに、よく我が…

雨ニモマケズ

この辺りには欧米人が多く住んでいる。 コロナ流行当初は頑としてマスクをしなかったけれど、最近しっかり付けている姿を見るにつけ「郷に入りては郷に従え」という言葉を思い出す。 どこの国だか知らないけれど、お国の仲間たちはもうマスクなしで生活して…

ビール呑み実験

大学時代、「ビール呑み実験」をした 蒸し暑〜い季節だった。 学生をお酒に「強い群」、「中程度群」、「弱い群」に分け、それぞれさらに多量、中程度量、少量の飲酒群に分けてビールを飲ませて、30分、60分、90分、120分後に各々脈拍などの測定、計算や記憶…

これも遺伝? 

遺伝子の影響が強く出るのは若いときでしょうか?歳を取ってからでしょうか? ずうっと前になるけれど、テレビだかラジオだかでこういう質問をしていた。 回答者曰く「若いときじゃないですか?」私もそう思った。 が、答えは「歳を取ってからの方が遺伝子の…

「ありがとう」

「ありがとう」は英語で「サンキュー」、「ごめんなさい」は「ソーリー」。 海外経験の浅い私が言うのも…と言うより、海外経験が浅いからこそ言えることかもしれないけれど、英語圏に旅行をするとこれらの言葉を頻繁に耳にする。 慣れてくると便利な言葉で、…

病院の怪談

梅雨寒の、週末。夜10時を過ぎた。 救急車のサイレンが近づいてくる。 音が大きくなるにつれ、イヤ〜な気分がよみがえってくる。 父の発熱で救急車を呼んだのも、土曜日の夜10時を過ぎていた。 サイレンの音はますます近くなり、我が家の前で停まった くるく…

いま限定

昭和初期の築地小学校の修学旅行の写真を見せてもらったことがある。 全員集合の写真だったようで、おびただしい数の生徒が写っていた。 …と、よく見ると、半数は大人だった。 父曰く、昔は親がついてきたんだよ…。 父の小学校の生徒のほとんどが、築地市場…

マスクばなれ

外国人観光客が来なくなってからかれこれ三年、私は明治神宮に頻繁に足を運んだ 都会のオアシス。気持ちが良いのは知っていたが、それまでとにかく混んでいて、行く気にとてもなれなかった。 それがすっきり空いている。 特に最初の自粛要請の時は季節もよく…

ガラスの邸宅

風情のある日本家屋と樹木の青々と茂るお庭 その周りに突如、無機質なフェンスが築かれたかと思うと、「建築計画のお知らせ」のパネルが掲げられ、工事が始まる。 フェンスが外されると、ピッカピカのマンションが現れる この情景をかれこれ四半世紀、絶える…

失われた言語

テレビでウクライナの人たちが「もうロシア語は絶対に使いたくない」と言っていた。 私たちからするとロシア語もウクライナ語も、キリル文字を使っているし、音も似ていて区別がつきにくい。 実際、ウクライナの人たちも両方の言語が使える人たちがほとんど…

アジア・レポート

父は、NHKラジオ第1放送の「ラジオ深夜便」をよく聴いていた。 朝、「〇〇さんが面白い話をしていた」とよく言っていたが、私は「ふーん」程度に聞き流していた。 私も歳を取り、寝つきが悪くなったり、深夜に目覚めるようになると、ラジオのスイッチを入れ…

日本橋の老舗弁当 

父は、日本橋の弁当屋のお弁当が大好きだった。都内のデパートでも売っている、老舗弁当店の、フツーの値段のモノだった。 私が子供の頃から、そしておそらくは父が幼い頃から、その内容は大きく変わっていない。メカジキの照り焼き、卵焼き、煮物、蒲鉾・・・…

花の下にて曾祖母を思う

朝ドラ「カムカムエブリバディ」が今週、最終回を迎える。 100年3代にわたる物語。最初は、安子の苦労物語・・・かと思いきや、気がつくと"ひなた"のコメディー・ドラマになっていて、最後は感動で幕を閉じ・・・ようとしている。あまりのトーンの変わりように、少…