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「ラスト・ソング」のその後

「ありがとう」

「ありがとう」は英語で「サンキュー」、「ごめんなさい」は「ソーリー」。

 

海外経験の浅い私が言うのもと言うより、海外経験が浅いからこそ言えることかもしれないけれど、英語圏に旅行をするとこれらの言葉を頻繁に耳にする。

 

慣れてくると便利な言葉で、こちらも深く考えずに連発するようになる。

 

例えば、買い物をしたとき。

日本で「ありがとうございます」を言うのはお店の人。お客は普通何も言わない。

が、英語圏ではお客は店を出るとき「サンキュー」と言う。

バスを降りるときも、カフェで頼んだものが出てきたときも。

「お金を払っているのに、なぜ感謝?」などと考えてはいけない。

言わないと失礼になる。

 

「サンキュー」は何かを頼むセンテンスの最後にも加えられる。日本語で「よろしくお願いします」に相当する。

 

とにかく彼の国の人たちは「サンキュー」を連発する。

本当に感謝しているかどうか私は知らない。

 

いっぽう、日本で「ありがとう」はそれほど聞かれない。

 

「サンキュー」も「ありがとう」も同じくらい短く、簡単な言葉だ。

でも日本語の「ありがとう」はハードルが高い。

あの人の口から「ありがとう」の言葉を聞いたことないよねという人もいる。

 

「ありがとう」や「ごめんなさい」の代わりに、日本人がよく口にするのが「すみません」だ。

「すみません」のほうが「ありがとう」より丁寧だと思っている人もいる。

でも、「ありがとう」のつもりで「すみません」と言っても、言われた人に「感謝」は伝わらない。

 

わざわざ言わなくても相手には伝わっていると思い込んでいる人も多そうだ。

でも、「ありがとう」も「ごめんなさい」も以心伝心では伝わらない。

そして、意識をしないと言えない言葉なのだ。

特に、一番近くにいる人、一番言うべき人に対して。

《母の姉から20年以上前にいただいた「キスゲ」が今年も花を咲かせた。》

 

母は良妻賢母の鏡のような人だったけれど、最後に大きなNGをしてしまった。

ひたすら母のため、献身的に看病をした父に「ありがとう」を言わないまま、唐突に旅立ってしまった。

 

そんな経験があったからか、父は晩年、私に「ありがとう」のシャワーを浴びせてくれた。もういいよってくらいに。

なのに私は、私から父に言わないままお別れしてしまった。

 

お互い生きていれば、次に会うときに言える。メールもできる。「あり」🐜と打てば変換候補に「ありがとう」と出る。

でも、あの世とこの世に別れてしまっては、メールも電話も届かない。

 

今日は母の23回忌。

遺伝子の半分を母と、残り半分を父と共有している私には、これを書いているうちに母と父の気持ちが分かってきた(気がする)。

母は、父に世話になって「すまない」気持ちでいっぱいになってしまって、「ありがとう」という言葉が出てこなくなってしまったのだ。思えば「すみません」はよく言っていた。母の「すみません」には感謝の気持ちが込められていたのだと私は思う。

いっぽう母の「すみません」は父にとっては「ごめんなさい」に聞こえて、何でそんなことを言うんだろう?と思ったか、あるいは耳に入っていなかったのかもしれない。

 

あの世で父を待っていた母。きっとどこかで言葉の忘れ物に気がついて、17年待って再会できた父に真っ先に伝えたに違いないと私は想像している。

少なくとも、私の中の父の部分🧬と母の部分🧬では解決できた気がする。

 

そして、このことに気付く機会をくれたMomoemonさんにも「ありがとう」です