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「ラスト・ソング」のその後

ブランド好きの姉と堅実な妹

1960年、東京都が新宿副都心計画を発表した翌年、新宿駅西口に2つのデパートが誕生した。

京王百貨店小田急百貨店だった。

2つのデパートは時には競い合い、時には助け合って成長した。

 

池袋の西武と東武、銀座の三越松屋、渋谷の東急と西武…etc.

叶姉妹阿佐ヶ谷姉妹が一人では人気が出なかったであろうのと同様に。

 

当時、母も私も、新宿へ行くと、小田急を文字通りスルーして京王百貨店に向かった。

小田急は新たに建物を追加したため売り場が広すぎて、とっつきにくかった。

 

平成に入って、百貨店人気は下り坂となった。

老舗百貨店は高級ブランドを取り込んで生き残った。が、新宿西口の百貨店たちは乗り遅れてしまった。

 

やがて外国人観光客が大挙して日本を訪れるようになると、新宿は爆買いの聖地となった。西口には薬屋電気屋大黒屋が乱立した。ユニクロは新宿に大型店が3店もある😳

 

JR、地下鉄、そしてバスターミナルからアクセスの良い小田急百貨店は、ブランド商戦を取った。ティファニーにグッチ、ヴィトンやブルガリ

化粧品売り場や地下食料品店にも外国人は訪れ、免税カウンターには長〜い列ができていた。

コロナが日本に上陸したとき、いち早く店員さんがマスクを着けたのは、小田急百貨店新宿店だった😷

 

いっぽう京王百貨店は日本の高齢者を取り込み、「堅実な」商売を続けた。

「全国駅弁大会」や「質流品セール」は有名になり、地下のスイーツ売り場には行列ができた。

エスカレーターの速度は遅く、行くだけでポイントがもらえ、健康食品・グッズが充実していた。休息用の椅子が並ぶエントランスや、手頃な値段のレストラン街には高齢者群れをなしていた。ここまで高齢者の心を捉えると、あっぱれだ🤗

 

沿線の開発も、京王線は地に足がついた感じで、小田急線はブランドっぽい気がする。

小田急線は沿線に高級観光地をいくつも抱え、ロマンスカーを走らせた🚄

藤沢、成城学園など、駅名だけでも憧れとなる駅がいくつもあったし、我が最寄り駅はじめ多くの駅が小田急ブランドマジックにかけられて、オシャレな「印象」に生まれ変わった。

 

ファッショナブルな職業の人たちは口を揃えて「小田急線沿線に住みたい」と言うようになった👒

 

京王線にも高級住宅街は多くあるけれど、都心に近い駅周辺には庶民的な商店街が続く。

いわゆる自粛期間に散歩がてら行ってみたけれど、小田急線沿線では見られなくなったような立派な商店街がまだ健在だったり、住民数はそれほど変わらないはずなのに大型スーパーがいくつもあって(ついでに大型書店もあって)、買い物困難区域の小田急線沿線住民からすると涙が出るほど羨ましかった。

 

京王線沿線には、小田急線のような「リゾート」地はなくとも、車窓から富士山🗻が拝めるし、系列の、井の頭線の景色が私は大好きだ🛤

高尾山も含め、誰もが気軽に楽しめるのが京王線🚃なのかもしれない。

 

京王線沿線にはブランドより生活を大切にする人が集まるからかもしれない。

 

住んでみないと分からない、こんなコントラストが、西武線東武東上線、(昔の)池上線と目蒲線、さらにはJRと地下鉄近くを走る電車同士にあるのではないかと思う。

 

不動産を取得する際はジモティに相談を🤗

 

小田急百貨店から新宿駅西口を臨む》