昨年夏、新宿駅西口に涼やかな笛の音が響き渡っていた。
白いシャツを着たグレーヘアーの男性が、日本の笛を吹いていた。
笛の音に引きつけられてそばに行くと、紙に「龍笛」と書いてあった。
そばにあったカンカラに、私は銀色のコインを一枚入れた。ストリートパフォーマーに投げ銭をしたのは初めてかもしれない。
その音色は神々しく、辺りのウイルスを一掃するのではないかと思われるほど清らかだった。
同じ頃、新宿駅東口にあった歌声喫茶が営業を終了したと、後になって聞いた。
父が晩年、行くのを楽しみにしていた場所だった。カラオケほど狭くはないが、コロナで行く人が減ったせいだろう。
70代ではダンスにハーモニカ、ピアノ…と様々な形で音楽を楽しんだ父だったが、視力が落ち、体力が落ち、集中力の持続が難しくなると、近所の小さなホールでのコンサートと歌声喫茶だけが楽しみとなった。
歌声喫茶には頻繁に通っていたわけではないが、東日本大震災が起こったときはそこで歌を歌っていた。地震が収まって、また歌に興じて、数時間後に外に出てみたら道が人で溢れていたと言っていた。危機意識の高い父にしては暢気な行動だった。それだけ楽しかったのだろう。
歌は自分の声だけで楽しめる、気軽な音楽だ。老眼で楽譜が読みづらくなっても、新しい曲を習得できる。周りの人との連帯を感じることができる。楽器だと気力体力財力と様々な制限がかかるが、歌はいつでもどこでも楽しめる。
しかし誰でも…というわけにはいかない。
私は聴音はできるものの、声で表現することが下手くそなので、唇の先に機械(=笛)をくっつけて歌うのが好きだ。私が好んで吹くのは木製の、西洋の笛だけど、ナチュラル素材(またはプラスチック)で作られた、息を吹き込む楽器はどれも好き。他の楽器は1年くらいやると飽きてしまうが、笛はいくら吹いても飽きることがない。音楽を聴いていても、笛の音だけは「別耳」に聞えてくる。
手軽に持ち歩けるので、感染して療養所に入ることになったら持っていこうと思う。クルーズ船に乗る機会が "あったとしたら"、持っていくべきだろう。感染症で2週間も軟禁されても、笛さえあれば幸せに暮らせる…と思う。
父の歌好き・音楽好きはDNAからきている…と思う。
祖父は小唄を唄うのが好きで、家に芸者上がりの先生を呼び寄せて唄っていた…と以前に書いた気がする。祖母は自ら歌うことはなかったが、歌舞音曲の類いが大好きだった。
父の姉(私の伯母)は、小学生のとき近所のレコード会社にスカウトされ、歌手デビューした。今でもYouTube検索すると、伯母の歌声がいつでも聞ける。伯母もやはり、晩年の楽しみは唄うことだったらしい。
いとこたちもそろって音楽好きだ。電話をかけたら、留守電の録音が歌って応答してくれたこともある♪
昭和時代のテレビ番組「家族そろって歌合戦」。親戚含めて出ていれば、優勝間違いなしだったと思う。今からでも遅くない。コロナが終わったら、NHKの歌合戦に一同で出ましょうか?(私は後ろで伴奏しながら踊ります)。
笛吹きも多い。顔なじみの親戚だけでなく、名前も知らぬ親戚にも、管楽器(笛)を演奏することを生業としている人がいると聞いたことがある。父もハーモニカが好きだった。
「ほら吹き」はいないようである…ありがたいことに。
案外、新宿駅西口の龍笛吹きさんも、どこかでつながっていたのだろうか?
この2年間、巷には笛を吹いている人、カラオケに行っている人はいるにはいるが、やはりビクビクしながらやるより堂々と演奏したいのが本音だろう。
世界中の歌姫や歌ジイが、あらゆる種類のウインド・インスツルメンツ・プレイヤーが、安心に歌い、吹ける日を心待ちにしているのだ。