「お年賀辞退」のハガキが届く時期🍂
今年はたったの2枚。95歳のお母様と、88歳のお義母様だった😌
友人の死を知らせる喪中ハガキが届くようになったのは、かれこれ10年ほど前からだった。
最初は高校時代の友人A子。
次に会社の同期のB子。
そして、今年は遠方に住む友人からの「また聞き」で、後輩の死を知った。
3人とも久しく会っていないが、私の記憶の中の彼女たちは美しい。
A子と、共通の友人の結婚式に出たのはかれこれ30年ほど前。
披露宴に数名、現職または引退した国会議員が出席していた。
宴が終わると、その議員さんたちがゾロゾロと私たちの席に向かって来てA子に手を差し出した。
「美人さん、握手してよ」
議員さんたちと私たちの席は離れていた。地方で催されたこともあり(アラサーでもあったし)、私たちも目立つ格好はしていなかった。
それでも議員さんたちの目の早いこと😳
宴の間中、招待客を物色していたのだろうか?まったく‼️
そして、おそらくB子自身も忘れていたと思うが:
帰宅途中の電車の中でB子が居眠りをし、隣の人の肩にちょっと体重をかけていたらしい。
目が覚めると、隣の人に肩を抱かれていたそうだ(フツーの人は避けられる)。
B子はタクシーに乗ったときも、降りるときに「お金はいいよ」と言われたことがあったそうだ。
もちろんそれだけの美人だと良い話ばかりではなかっただろう…と今になって思う。
彼女たちと対照的に、まだ元気で存命中の、C子。
コロナ禍のまっ最中、「無事?」とメールしたら、「大丈夫。世にはばかるタイプだから」と返事が来た。
ミョーに納得して安心しちゃったの。ごめんね😜
「憎まれっ子世にはばかる」というのは、(本当にそうかなと思うことも多いが)おそらく、年を取ってくると憎まれがちな性格になるから…じゃないかと思ったりもする。可愛く年を取るのは難しい…と最近つくづく思う🤔
それに対して、「美人薄命」というのは、本当に美人が短命である…というより、美しい若い頃に亡くなることで、誰の脳裏にも美しい姿が残るから…と思っていた。
でも、死神様にもスケベ心があった…と言うより、やはり面食いだったんだろう。
A子が美人でも、B子が美人でも、私には大した問題ではない。
私に取って大切なのは、彼女たちの心が美人だったこと。そして年賀状も美しかったこと。
無機質な印刷だけの年賀状では決してなく、かといってひけらかすような文言もなく、さりげなく、且つユーモアたっぷりに近況を添書きしてくれた。
A子の賀状には、旅先で撮った写真が ”控えめに“ プリントされていた。
名所旧跡の写真などではなく、池に浮かぶ一輪の睡蓮の花とか。
私は、彼女たちからの新年の挨拶状が本当に楽しみだった。
ずうっと会っていなかったので、彼女たちがこの世から消えた実感は薄いけれど、年賀状の季節になると「ああ、もう来ないんだ」と、心に木枯らしが吹くのを感じる🌬
合掌🙏