Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

雨女の回想録🍬

ここのところ洪水が多い。

「緊急避難警報」の言葉を頻繁に耳にする。

被災地の方々には、お見舞い申し上げます🙇‍♀️

 

昭和の夏は天気が安定していたと思うのは私だけではないはずだ。

安定しすぎて(晴れ続きで)「水不足」「渇水」という言葉が頻繁に聞かれた。

十日間、雨が降っていません」なんてニュースもあったっけ。

そんな昔じゃないのにね😄

 

夏休みも終わりに近づくと、デパートは「宿題お手伝い」イベントを催し、「夏休みのお天気表」を配ってくれた。絵日記をためてしまった子供たちのために。

ずうっと雨が降らないのならその必要もないのだけれど、数日だけ涼しい日や雨の日もあったし、たまに台風も来た。

 

そしてそんな数少ない雨の日に旅行を予定してしまうのも我が家であり、我が友だった。

海に行くはずが台風でキャンセルしたのを覚えている。1日ずれれば行けたのに☔️

テニスのグループ旅行は強行して、結局向こうでずーっとお風呂に入っては呑んでいた。おかげで2組ほどカップルが誕生した💑

 

小学生時代、社会科で「北海道に、台風は何十年かに一度しか来ません」と習った。

 

十代最後の夏休み、家族で北海道旅行に行った。ほんの45日のツアーだった。

そこで出会ってしまったのだ。何十年かに一度の台風に🌪

道路が水浸しになって観光バスは立ち往生。近くのホテルで休憩をとった。

あちこちで道路が封鎖され、そのホテルに来るはずのお客さんも到着できないということで、我々は急遽、そのホテルに泊まらせていただくことになった(予定のホテルよりワンランク上な感じがした)。

 

そこの展望風呂から見た、川の濁流は今でも忘れることができない。

都会育ちの私が初めて見る光景だった。美しいはずの川がゴウゴウ音を立てて流れていた。

今でも鮮やかに思い出される、北海道の貴重な思い出となった。

今年はこんな風景があちこちに広がっているのだろう💦

 

先月、富士山に行った🗻

お天気はさほど悪くなかったのに、富士子姫は雲の御簾に隠れてしまって、麓からでもその姿を確認することができなかった。美人と同じ、お顔が映っていなければ写真は全くバエない。

 

昭和時代に祖母がよく訪れていたホテルでランチを食べた。

「富士山が見えなかったら宿泊料を全額返してくれる」と祖母が言っていたのを覚えていたので、絶対に見えるのだろうと思ったのだが💧

ーまたか😅

 

《私には見えなかったが、祖母はここに堂々たるマウント富士を見たのだろう。》

 

気候変動のおかげで、日本中誰もが「雨女」「雨男」。

ヨーロッパやオセアニアに行ったら大歓迎されそうだ🌧

 

昭和の夏、ニッポンの夏🌀

毎日の天気予報が「晴れときどき曇り、ところによりにわか雨」の繰り返しで、最高気温予想が32度以上になることもなかった。予報が外れることもなかった。

夏休みに入るときには「クーラーの入った部屋にばかりいないで、外で遊びましょう」と言われた。

 

もう昔話でしかない。