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「ラスト・ソング」のその後

築地バーチャル散歩

今日は文字通り、雲ひとつない青空だった。

こんな日は、築地が恋しくなる。

でも、「開国」された今、外国人観光客で混んでいるんだろうな。

 

ということで今回は、私の思い出の中にある築地場外市場

たったのふた昔〜三昔前(ひと昔=10年として)のお話だけど、この間に築地は大きく変わった。

 

築地場外市場はそもそも、場内に買い出しに来る人たち、セリに来る人たちのためのものだった🐟

なので、魚と野菜以外、そういう人たちが必要とするものを売っていた。

調理器具やパッケージ、器類をはじめ、鰹節などの乾物、お茶、前掛けやゴム長

 

そして、早朝から労働をした人たちのために、安価でたっぷりした食事が用意されていた🍛

こういう人たちは舌も超えているから、グルメな店が目白押しだった。

 

晴海通りを銀座から歩く。

新大橋通りとの交差点には共栄会ビルがある。私が行き始めた頃はキレイな建物になったばかりだった。

 

生簀のある食堂をはじめ、美味しそうな店が並び、1階には漬物を売る店があった。

ここのおばちゃんはいつも苦虫を噛んでいるような顔をしていたが、売っているものは美味しかった。

漬物のほか、大福やおはぎなんかも売っていた気がする。

 

その向かいには輸入品の紅茶やチョコレートを売る店がある。

有名ブランドの英国紅茶や、ベルギーのチョコが、パッケージ破れなどの理由で、破格に安く売られていた。輸入ジャムやココア、コーヒーなどもある。

 

新大橋通りを渡ると、角にマグロ丼のスタンドがあったが、ここは早く店を畳んでしまったので食べたことがない。そこから新大橋通りに沿った並びに、「あの」ラーメン屋があった🍜

12時にはすでに長蛇の列。長過ぎて両隣の店から苦情が来るようで、「お客整理」要員が雇われていた。小さな店の前に、代表者1名、きっちり折り畳まるように並ばされた。

人気の理由は値段と味とチャーシューの量。肉厚の自家製チャーシューが56枚入って、たったの550円(当時)❣️

 

この並びには、ホルモン丼の店、もう1軒ラーメン屋(ここも美味しかったけれどパッとしなかった)、蕎麦屋があった。

この辺りは殆どが立食だった。カウンターで食べられるのはラッキーな数人。あとの客は、ベニヤ板や灯油缶などで作られたテーブルで、蕎麦なりラーメンなりを肩寄せ合って啜った(今では不衛生とされる💧)。

 

蕎麦屋には各種天ぷら🍤が並んでいて、好みのものをトッピングできた。今では一般的だけど、当時は画期的だった。

ちなみに何もトッピングしなくてもワカメがたっぷり入っていた。

 

蕎麦をすすりながら隣の店を覗くと、塩辛やらイクラ漬やらわさび漬けやらが並んでいて、ついつい買わずにいられない。

この店の角を曲がると、有名芸能人の実家の卵焼き屋のある通りになる。

この並びには各種豆屋や刃物屋など。お寿司屋さんのための卵焼屋が他にも数軒、お客を呼び合っていた。

 

途中、人の多いほうに入っていくと魚河岸茶の店やワサビなどを売る八百屋。今頃だと松茸も山盛りにして売っていることだろう。

マグロのブロックや干物の魚も買える。ごちゃごちゃしてかなり歩きにくいので、卵焼屋の通りに戻ろう。

 

さらに直進すると、同僚が大好きだったニンニクラーメンの店があった。

ラーメンの上にニンニク(ホール)の唐揚げが載っている❣️

ここまで来ると人通りは少ない。丸椅子に腰掛けて、青空を眺めながらラーメンを味わうことができた。

 

さらに直進すると正面に「波除神社」。手前を右に曲がると、アーケードがあって、牛丼の吉野家の一号店があった。

その並びにあったのが、伝説の「豊ちゃん」。ここまで辿り着くのは、かなりの「ツウ」。

 

「豊ちゃん」は大ボリュームの定食が人気で、今の季節だとカキフライ定食がオススメだ。

お皿の上には山盛りのカキフライが乗っかっていて、しかも安価。私など、残ったものを持ち帰り、それを家族で味わった(それくらいあった)。

ちなみに、「豊ちゃん」を愛し、しょっちゅう食べに行っていた某業者さん、高コレステロール血症(今で言う脂質異常)になってしまったと言う🩸

 

波除神社の前にはパン屋もあった🥪

晴海通り沿いには珈琲屋もあった。そういう「モダンな」味を愛する人たちもいた。

地味だけど安くて美味しいお寿司屋さんや天ぷら屋さんもあった。

ぐるぐる歩いていると巡り合う、マグロのカマを出してくれるお寿司屋さんもあった。

 

今では、おそらく殆どが観光客目当ての「バエる」お寿司屋さんに代わってしまったことと思う🍣

残っている店もやがて姿を変え、数年後にはかつての築地の跡形も無くなってしまうのだろう。

 

ま、仕方ないか🙄 それも時流。

 

日本橋室町も、原点は魚河岸。場内も場外もなかったと思われる。

現在軒を並べる、海苔店、鰹節店、魚煉店はじめ多くの飲食店は魚河岸に来る人たちのものだった。今ではどこも「老舗」を誇り、全国展開している店も多い。

 

築地も今後、良い形で発展し続けますように。

 

《注:文中、特に過去形で書いたお店は現在、存在しない可能性があります。これを読んで築地に行っても、殆ど役に立ちません😜

 

《ここのハンペンは絶品。室町では、このように店を維持している。》