私が小さい頃、祖母には様々な客人が訪れていた。
祖母の実家は大家族で、しかも長寿家系だったので親戚も多かった。さらに昔の使用人とか血縁関係不明の人も訪れてきた。
たいていは手土産を持って来られて、2時間ほど、ときにはお寿司や鰻重のケータリングを注文し、祖母と話をして帰られた🍣
昭和の老人はWi-Fiなど使わずとも誰かと繋がっていた。
誰が来ても、幼い私は、「こんにちはをしてきなさい」と命じられた。
今思うと、人生初の「ミッション」だったかもしれない。
「こんにちわ」と言うと、多くの人は「はい、こんにちわ😊」と返してくれたが、中には「ごきげんよう」と言う人もいた。
「ごきげんよう」はその後、中学校〜高校のときに奨励された…と言うより「仕込まれた」(笑)
卒業する頃には、お辞儀をすると、パブロフの犬の如く条件反射的に「ごきげんよう」と口から出るようになっていた🐶
大学に行くと「ごきげんよう」はなんと、使われていなかった😳
高校・大学は違うが、やはり「ごきげんよう」の習慣が付いた友人が、大学で思いっきり「ごきげんよう❗️」と言ってしまって、そのままあだ名になってしまったと言う。
私たちは躍起になって、過去の習慣を抹殺しようとした。しかし…
この言葉の美しさを改めて感じたのは、40代を過ぎてからだった。
「お早う」「今日は」「今晩は」「左様なら」と無機質な言葉を語源とした挨拶と違って、「ご機嫌よろしゅう」と相手に対する思いやりが含まれている。
何より、便利だ。
朝でも夜でも、目上にも目下にも同じ言葉が使える。しかも丁寧。もっともっと広まってもいいのに。
なぜか「こんにちは」を使ってはいけない業界もあるらしい😜
夜でも「おはようございます」とか、朝に「お疲れさまです」と言うらしい。常識に照らすと、夜に「おはよう」、朝から「お疲れさま」と言われるほうがおかしい気が…しません?
かつてはテレビ番組でも「ごきげんよう」はよく使われていた。
放送時間が朝でも夜でも大丈夫なように…ではないかと思う。
(最近では「さぁ始まりました!」とかが多い。)
私はメールの挨拶にもこの言葉を多用する😃
朝に書いたメールを相手が読むのは夜かもしれない。
何より、メールを読んでくださる方への敬意を表して。
私は、メールやトークにおける挨拶言葉は、贈り物に添えるリボンのようなものではないかと思う🎀
要らないと言えば要らないが、ないと無味乾燥な感じがする。
たとえ好みの色のリボンでなくとも、悪い気はしないし、あればちょっとワクワクする☺️
解いたリボンを、くしゃくしゃ丸めて捨てる人はいない。近くにあるものに結んでみたり、くるくるまとめて箱にしまったり。
そして誰かにプレゼントをするとき、使ってみたり🎁
リボンが美しければ、どんどん再利用され、世に広まる。
美しさに気がついてくれた人から、「ごきげんよう」の輪が広がる😉
それでは皆さん、ごきげんよう🙇♂️