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「ラスト・ソング」のその後

父の本棚(4)〜祖母の隠し財産?〜

父の本棚からこんな本が出てきて、大爆笑🤣


自分で買ったのかな
⁉️

いや、私が買って「プレゼント」したんだっけ

いやいや、新聞の書評の切り抜きが入っていたから、やっぱり自分で買ったんだろう📚

だけどアンダーラインが一本も引いてなかったので、読んではないらしい。

 

この本の発行は2000📗

前ブログのブックオフが原宿に店舗を構えた頃。

断捨離・コンマリブームの直前くらいだろうか。

 

ちなみに父は「断捨離」という言葉が大嫌いだった。

 

父・母・祖父母、モノのない時代を経験した人たちは、モノを徹底的に大事にした(捨てなかった)。

祖母が亡くなった後、プラスチックのおかずパックが大量に出てきた。

訪れてくれる娘たちにおかずやお菓子などを分けるため、大切に取っておいた「隠し財産」らしかった。

「財産」と言っても金目の物は一つもなく、ガラスビンや荷造り紐、包装紙、結婚式の引出物などだった🥴

 

昭和家屋には、押入れ、そしてその上に天袋というものがあり、大量のモノを受け入れてくれた。

使われなくなったモノは大切に仕舞い込まれ、思い出したように取り出されては「こんなものがあった❣️」と、人々を一瞬笑顔にした。

一種のタイムカプセルみたいな存在カモ🦆

 

新しいモノが次々入手できるようになると、奥深く仕舞われたものは取り出されることもなくなった。

そうやって生きてきた人たちの死後、大量の「隠し財産」の処理に困る子孫が続出したのが、西暦2000年頃だったのではないだろうか?

 

住居も西洋化し、押入れのない住居にすっきり住むことがトレンドとなった🧹

かつてはたくさんモノを持っているのが富の象徴だったが、今ではモノが溢れている生活のほうがビンボー臭く思われる😅

 

「お古」で育った親世代は、自分の子どもには新しいモノを着せたがった。

いっぽう、新しい服を着せてもらって成長した私は、たまにもらう従姉妹のお下がりが結構気に入っていた。

母が買ってくるものと目先が変わっていて、いつもと違う自分になれる気がしたのだ。

 

今どきの若者も「セコハン」を上手に楽しんでいる。

下北沢で石を投げれば古着屋に当たる(誇張ではないです)🪨

持ち主が変われば、モノも再び輝くことができる。

 

ちなみに私も「断捨離」という言葉は好きではない。

 

多少気に入らなくとももらったものでも、間違えて入手したものでも、フライヤー1枚でさえも、捨てられるために作られたモノなどひとつもないのだ。

人間一人ひとりがかけがえのない存在であるのと同じ。

 

自分で悩み、行き着いた結論ならともかく、1000円ちょっとの本を読んだだけで断捨離しちゃうと、今度は自分が断捨離されちゃうよ、きっと🥴と思ったりする。

 

と言うことで、冒頭画像の本はブックオフに持って行こう😉