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「ラスト・ソング」のその後

リサイクルの歴史

今年の初めにiPadを買い替えた。

古いものはバッテリーがいかれていたし、バックライトも暗くなっていたので「ゴミ」だろうと思ったが、先日「下取り」というのに出してみたら、悪くないお値段がついた😳

昔、M主査が言っていた通り、箱を取っておいたのが功を奏した(何でも取っておくものだ)。

おばあちゃんの33回忌の足しにいたしましょう🤗

 

「ラスト・ソング」に書いた通り、21年前に母が亡くなってから、不用品の処分が私のライフワークとなっていた。私がこの世に生を受けた意味は、両親の買ったものの始末ではないかとさえ思ってしまう。

 

両親はモノのない時代に育ち、次々と新しいモノが登場する時代を生きた。決して浪費家ではなかったが、ワクワクの連続だったに違いない。

 

我が家に2層式洗濯機や冷凍冷蔵庫がやってきた日を私が今でも鮮明に覚えているのは、これらの機械そのものではなく、すぐに乾きそうな状態まで脱水された洗濯物に喜んでいた母や、かき氷製造機を買ってきて、私の友達にかき氷を嬉しそうに振る舞ってくれた母の笑顔が印象に残っていたからだ。

 

大型家電は買い替えてきたが、そうでないものは捨てることはなかった。かき氷製造機も、母が亡くなった後、8ミリ映写機📽と一緒に納戸から出てきた。

 

母が亡くなった後、大量の品物をリサイクルに出した。

当時はインターネットが今ほど普及していなかったので、引き取り業者や団体を雑誌で探し、ネットで確認し、電話をかけて交渉するという、アナログな方法だった。ときには途上国にこれらの品物を送るための送料を寄付したりもした。

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母が愛用していた、お弁当箱、そろばん、筆箱と、むすめ時代のスカート。私も捨てがたい。

ブックオフができたのもこの頃で、当初は「きれいであれば」どんな本でも値段がついた。

 

それから20年。父のものを処分する頃には、リサイクルも変化していた。

 

ブックオフは「きれいさ」に加え、売れている本でなければ値段がつかなくなった一方で、洋服や家電も「売れそうであれば」引き取ってくれるシステムができていた。

 

リサイクルには、世の中の動きが反映されているように思われる。

 

着物のリサイクルは変動が激しかった。良い値で引き取ってくれる業者に出会ったとき思い切って処分すればよかったが、迷っているうちに業者が倒産してしまった。値のつく着物の柄も年々変わる。我が家にあるような着物は、”今の人たち” には喜ばれないらしい。

冒頭、古いiPadが売れたのも、最近の半導体不足のせいかもしれない。

 

メルカリで「古いピアノを20万円で売った」という “したたか者”(私じゃないです!)にも出会った。ネットオークションができた頃、ネオクを稼業にして家を建てたという人をニュースで見たけれど、それがどこにもあり得る話となってきた。

 

残念ながら我が家には売れそうなものはない。父が残した楽器はハーモニカで、これは娘の私でも口をつける気になれない。大量の書籍も日焼けしてしまって、値はつかない(美味しいお魚🦑🐟に替えてくださった方に感謝です)。

 

父の衣類や雑貨は、自治体のリサイクルに出した。大きなバッグを抱えて清掃事務所に3度足を運んだが、さすがに布団は運べなかった。

中古の衣類はバイオエタノールにするルートもあるらしい。父のパジャマで飛行機が飛ぶのは、考えただけでワクワクする。あまり気に入ってなかった新品同様のパンツ(ズボン)は、誰か履いてくれているだろうか?

 

リサイクルは今後さらに変わっていくだろう。今までゴミだったものに値がついたり、高値で引き取られていたものが一夜で「猫またぎ」になったり。

中古品の市場は国内にとどまらず、ワールドワイドに広がっている。

 

両親や祖父母の残したものでお金を稼ぐつもりはないけれど、無下に捨てられるよりは誰かに喜んで使ってもらいたい、美しく始末したいと思うのが、私の願いであり、務めでもあると思う。

 

我が家の近所に住んでいた、大会社創業者の奥様が大往生された後、大量の衣類がゴミ袋に入れられて路上に放り出されていた。さらに「ご自由にお持ちください」という張り紙と一緒に、主を失った食器や家電が道路脇で、拾ってくれる人を待っていた。

 

死んでしまえば分からないけれど、自分の死後、自分の愛用した品物があのように処分をされるのを知ったら、どう思われるだろう。

心ある業者にお金を払って、そっとリサイクルに出す選択肢はなかったのだろうかと思った。

 

戦後〜高度成長期に生きた者を親に持つ世代は、多かれ少なかれ「遺物処分」の問題に直面するのではないだろうか。

しかも現在は「環境負荷」という問題まである。捨てるのにお金もかかるし、頭も使う。

あの世を信じているわけではないけれど、あの世で御先祖さまに合流したとき、少なくとも「ご苦労さま」と言われるように始末できればと思う。