我が家では、修繕、組立…、工具🛠作業は母がやっていた。
「フツー、お父さんがしない?」と私が言うと、
「パパに頼んだら、まず本を買って来るところから始まっちゃうでしょ」と母が笑った。
ナルホド…😅
というわけで、我が家には多岐にわたるジャンルの、様々な本が揃っている。
《実は我が家には、この他に2ヶ所、作り付け本棚があります😛》
今の家を建てるとき、あいている壁面全てが作り付け本棚となった。
そこにいっぱい父の本が並んだ。
でも実は、これが父が一生をかけて集めた全ての蔵書ではない。
私が物心つく頃、古い家にやはり作りつけの本棚があった。
そこにはカターい本がたくさん並んでいた。漱石全集をはじめ、明治〜昭和の文豪による小説、経済の本…📘
これらを「第一世代の蔵書(G1)」と呼ぶことにしよう。
家を建て直すとき、G1は10箱を超える「みかん箱」に詰められ、物置に納められた。
新しい父の部屋にはスチール製の本棚しかなかったのだ。
その本棚に、父はその後買った本を詰め込んだ。よく2階が落ちてこなかったと思うくらい、新たに購入された本が積み重なっていた。
これらを「第二世代の蔵書(G2)」とする。
よく覚えていないが、当時流行った「カッパブックス」など、軽い本が多かったようだ。自身が中年期を迎え、母も病を発症したせいか、医療健康関連の書籍も多かった。
そして「終の住処」を建てるとき、G1は物置きごと葬られた。
何の本があったかも忘却の彼方だったのだろう。
G2だけでも夥しい量があり、多くを、当時ビジネスを始めたばかりのブックオフに出した。
それでも大量のG2で新居の本棚はいっぱいになった。
さらに晩年、「第三世代の蔵書(G3)」が加わった。
昭和史、老年学の他、楽譜や展覧会の図録もあった。
第一世代の蔵書に比べて活字は大きくなり、文体も読みやすくなった。私も借用させてもらった。
《老いと死に関する第三世代の蔵書。私のため?》
さて私が中高生の頃、本をたくさん読む子は良い子とされた。
国語の時間には「青春時代の読書の大切さ」について、文章を変え言葉を変えて説明された。
良書は、読み返すたびに新しい発見があるからいいのだ…とか。
きちんとした文章を書くためとか、論理的に考えるためとか。
漫画はダメだとか、活字を読まなければダメだとか、テレビはダメだとか📺
漫画やアニメ、映画、テレビが有害である理由はないと思う。
媒体はなんであれ、フィクション、ノンフィクションを問わず、老いも若きも「ストーリーに没頭する」ことが大切なのだと、私は思う。
ちなみに父がインフルになったとき、BSで再放送されていた、百恵ちゃんの「赤いシリーズ」は、当時の私の唯一の楽しみであった。
ドラマは束の間、辛い現実を忘れさせてくれ、元気づけてくれる。
誰でも、ひとり分の人生しか生きられない。
多くの物語の中に身を任せて、多くの人生を経験し、多くの人の気持ちを「想像する」ことで人生がふくらむのではないか…と思う。
想像力は人生を豊かにするための「才能」。
しかもトレーニングやお勉強で得られるのではなく、エンターテイメントから得られる…なんて素敵…じゃない?