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「ラスト・ソング」のその後

父の本棚(1)〜人生を豊かにするために〜

我が家では、修繕、組立、工具🛠作業は母がやっていた。

 

「フツー、お父さんがしない?」と私が言うと、

「パパに頼んだら、まず本を買って来るところから始まっちゃうでしょ」と母が笑った。

ナルホド😅

 

というわけで、我が家には多岐にわたるジャンルの、様々な本が揃っている。

《実は我が家には、この他に2ヶ所、作り付け本棚があります😛

 

今の家を建てるとき、あいている壁面全てが作り付け本棚となった。

そこにいっぱい父の本が並んだ。

でも実は、これが父が一生をかけて集めた全ての蔵書ではない。

 

私が物心つく頃、古い家にやはり作りつけの本棚があった。

そこにはカターい本がたくさん並んでいた。漱石全集をはじめ、明治〜昭和の文豪による小説、経済の本📘

これらを「第一世代の蔵書(G1)」と呼ぶことにしよう。

 

家を建て直すとき、G110箱を超える「みかん箱」に詰められ、物置に納められた。

新しい父の部屋にはスチール製の本棚しかなかったのだ。

その本棚に、父はその後買った本を詰め込んだ。よく2階が落ちてこなかったと思うくらい、新たに購入された本が積み重なっていた。

 

これらを「第二世代の蔵書(G2)」とする。

よく覚えていないが、当時流行った「カッパブックス」など、軽い本が多かったようだ。自身が中年期を迎え、母も病を発症したせいか、医療健康関連の書籍も多かった。

 

そして「終の住処」を建てるとき、G1は物置きごと葬られた。

何の本があったかも忘却の彼方だったのだろう。

 

G2だけでも夥しい量があり、多くを、当時ビジネスを始めたばかりのブックオフに出した。

それでも大量のG2で新居の本棚はいっぱいになった。

 

さらに晩年、「第三世代の蔵書(G3)」が加わった。

昭和史、老年学の他、楽譜や展覧会の図録もあった。

第一世代の蔵書に比べて活字は大きくなり、文体も読みやすくなった。私も借用させてもらった。

《老いと死に関する第三世代の蔵書。私のため?》

 

さて私が中高生の頃、本をたくさん読む子は良い子とされた。

国語の時間には「青春時代の読書の大切さ」について、文章を変え言葉を変えて説明された。

良書は、読み返すたびに新しい発見があるからいいのだとか。

きちんとした文章を書くためとか、論理的に考えるためとか。

漫画はダメだとか、活字を読まなければダメだとか、テレビはダメだとか📺

 

漫画やアニメ、映画、テレビが有害である理由はないと思う。

媒体はなんであれ、フィクション、ノンフィクションを問わず、老いも若きも「ストーリーに没頭する」ことが大切なのだと、私は思う。

 

ちなみに父がインフルになったとき、BSで再放送されていた、百恵ちゃんの「赤いシリーズ」は、当時の私の唯一の楽しみであった。

ドラマは束の間、辛い現実を忘れさせてくれ、元気づけてくれる。

 

誰でも、ひとり分の人生しか生きられない。

多くの物語の中に身を任せて、多くの人生を経験し、多くの人の気持ちを「想像する」ことで人生がふくらむのではないかと思う。

 

想像力は人生を豊かにするための「才能」。

しかもトレーニングやお勉強で得られるのではなく、エンターテイメントから得られるなんて素敵じゃない?