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「ラスト・ソング」のその後

七十路のモーツァルト

父は72歳からピアノを始めて発表会にも出た。父について私が一番自慢していることだ。

「他に自慢することがあるでしょう」と言われそうだけれど、”昔取った杵柄” なんかより、私にとって父が一番カッコよかったのは舞台の上でピアノを演奏している姿だった。

 

父は定年退職後、ハーモニカを習い始めた。子供の頃にやったことがあってとっつきやすかったくらいの理由だと思う。当時は楽譜もイロハ読みだったらしい。

 

なので、当初は楽譜をイロハで読んでいたが、ドレミに直された様子だった。

さらにいろいろな曲を演奏するにしたがい、音楽記号や用語に遭遇し、それらを勉強するために、音楽の基礎的なことを教えてくれる講座に入ったらしい。そこで鍵盤楽器に触れ、叩いているうちに「いっそピアノを習おう」ということになったと言っていた。

ピアノを習い始めたのが、母が亡くなった直後くらいだったと思う。

 

当初は数千円のキーボードを買ってきたが、すぐにそれでは鍵盤が足りなくなった。

そこで私がボーナスを叩いて、ピアノ型のキーボードをプレゼントした。

我が家は家財道具や洋服にはお金をかけないが、マグロの刺身と楽器には(ちょっとだけ)お金を惜しまない。一人ぼっちで1日を過ごす父の、新しいパートナーとなった。

 

ピアノを始めて1年くらい経った頃だろうか、発表会があると言った。

「ふ〜ん」と関心のないふりをして聞いて、観に行った。私が行くと知らないほうがいいだろうと思ったからだ。

 

歳をとってから始めたおじいちゃんおばあちゃんばかりの発表会だった。

この歳になれば怖いものなどないだろう…と思ったのだが、みんな上がりに上がってしまっていた。上がっているのが客席の一番後ろでも分かって、救急車を呼ぶことにならないかと、他人事ながら心配になった。

 

父は大きな間違いをするでもなし、頭が真っ白になった様子もなし、落ち着いた様子で、無事に舞台を終えることができた。モーツァルトだった。

私は、子供の発表会に付き添う親の気分を味わせてもらった。

こっちまでドキドキして心臓には悪かったが、素敵な発表会だった。

 

かつて幼児教育方面に進学した高校時代の先輩がいたのだが、大学に入って何を苦労したかというと、両手でオルガンを弾くことだと言っていたことがある。両手を使って複数の鍵盤を同時に押すという作業は、子供には簡単だけど歳を取るほど難しくなる。10〜20代でも苦労した人がいるのだ。70代で始めようというガッツもさることながら、人前で曲を弾くのはスゴイことだと思う。

 

思えば、発表会に出ていた人たちは戦中戦後のモノのない時代に育っている。昔は高嶺の花だったピアノを自ら奏でることで、自分の人生のフィナーレを飾ろうとしていたのかもしれない。

 

そして父の、この姿を知っているのは私だけだ。

私はこの時の父を、一生忘れない。

 

父が亡くなってから、キーボードは寂しそうにリビングに佇んでいたが、緊急事態宣言下でピアノの練習の場を失った友人に提供しようかと思って、拭き掃除をした。

友人は結局弾きには来なかったが、せっかくキレイになったのでちょっと弾いてみた。

ン十年ぶりなのに悪くなかった♪

そうそう、伯母も中年になってからピアノを始めて、結構上手だったっけ。きっと我が家には音楽家の血が流れているんだわ…と、歌舞音曲を楽しむには思い込みも大切。

 

デパートで楽譜を何冊か買ってきてみた。ピアノの楽譜はリーズナブルで、ついつい買いすぎてしまった。

バッハの曲を弾くときチェンバロの音にしてみたら、なんかとても素敵な気分になった。

以来、陽が落ちるとピアノ曲を数曲弾き、最後にチェンバロの音色を楽しむ。

 

バッハが聞いたら、自分が作曲した曲だと分からないかもしれない。でも、そんなことは関係ない。音楽は楽しむためにある。この密かな楽しみは、コロナで凹んでいた私への父からのプレゼントなのかもしれない…と思うことにしよう。

 

実は、父がピアノを習っているとき、一度だけ父の前で弾いたことがあった。

さらさらと得意げに弾いてしまって、見ると父がとても悲しそうな顔をしていた。

一生懸命練習しているのになかなか上手く弾けない父の前で、なんて残酷なことをしたのだろう…という気持ちになって、以来、弾くのをやめたのだった。

 

父の最後の入院が8月15日。私にとって命日より思い出されることが多い。

あの年にだけは戻りたくない、思い出したくもないと思っていたはずなのに、酷暑とコロナの今年からすると、なんていい時代だったのだろうと懐かしくさえなってくる。

 

毎日の面会が許された。べたべたスキンタッチもできた。最期の夜を病室で一緒に過ごすことができた。ささやかながら人を招いて葬儀もできた。今年だったら、こんななんでもないこともできなかったかもしれない。何よりあの年は、異常気象の針が涼しい方に触れていた。

今年、あのような介護・看護をされている方はさぞかし大変なことだろう。

 

いい時代だったよねぇ父に語りかけるように、キーボードのスイッチをONにする。