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「ラスト・ソング」のその後

謎のタイピスト

私がおチビだった頃、父が英文タイプライターを買って来た。

 

何で買ってきたのか謎だけど、しばらく練習していたから、単に打てるようになりたかったのだろうと思う。

 

私が驚いたのはタイプライターという機械だけではなく、それを前にしたとき母が豹変したからである🐆

 

いきなりすごいスピードでダダダダダとキーボードを叩いた🔥

吐き出される紙には、私には読めない異国の言葉が並んでいた。

母ではない母を見たのは、これが最初で最後だったかもしれない。

 

父は間もなく飽きたんだか、ダダダダダの母を見て心が折れたんだか💧

埃を被っていたそのタイプライターを、私が引き取った。

 

大学に入ると、コンピュータが授業に登場した。

そのキーボードを見るとタイプライターと配列が同じらしいことに気がついた。

そして、これからはコンピュータの時代だとも騒がれ始めた。

母のようにキーボードを見ずにダダダダダと打てたら就職にも有利かもしれない。

 

でも、どうしたらダダダダダと打てるようになるのだろう🤔

 

大学三年の春休み、英文タイプの速習講座の新聞広告を見つけて、1週間だか2週間だか通い、帰宅してから父のタイプライターを使って練習した。

英文タイプ検定の一番下の級が受けられるというので、受けてみた(受かった🎊)。

 

その時知ったのは、タイプライターというのはただ速く打てるだけではいけないということだった。

 

まず正確さが必要。

そして、キレイにレイアウトできる能力も必要。

さらに悪筆の手書き原稿を解読できて、必要があれば修正もできる、英語力も必要だということだった。

 

私はタイピストにはなれなかったが、おかげでキーボードを見ずに打つ技術を習得し、その20年後に就いた翻訳業ではものすごく役に立った。

今やスペルも漢字もうろ覚えでも、コンピュータが直してくれるもんね😜

 

タイプライターを打っている母を思い出すとき、不思議に思うことがある。

母の高校時代の大半は戦時下で、英語は敵性語だったはず。

どこで英語を学んだのだろう?

そして高校卒業後は栄養士の専門学校へ行っていたと聞いた。

どこでタイプライターを学んだのだろう?

どういう経緯でタイピストをやっていたのだろう?

何故、和文タイプではなく英文だったのだろう?

 

いずれにせよ、一瞬見せてくれた母の背中と、父が買ってきてくれたタイプライターのおかげで、今も私はキーボードを打っている⌨️

 

(ちなみに最近のキーボードはダダダどころか、音がしません🤫