外国人観光客が街に「戻って」きた🧕🧑🦱🧔
久しぶりに行った明治神宮は、もはや神聖な場所⛩ではなく観光地。
境内は外国語が溢れ、絵馬も横文字、中にはどっちからどっちに読むのか分からないものもあった。神様も語学学習に忙しいことだろう。
デパ地下も混雑。
焼き鳥屋の前で佇むブロンド家族。「ミニバーベキュー」と思っているのだろうか?
大きなメンチカツボール🌰を3個も購入していたLLLサイズ家族。ホテルでみんなで食するのね。
私たちには日常のおかず売り場も、外国人にはテーマパークなのかもしれない。
そして久しぶりに、スイスの友人からメールが来た🇨🇭
イギリス人のご主人は以前からパーキンソン病を患っている。
オックスフォード大学卒のご主人はイケメンで優しくて、めちゃ私の好みで、結婚当時はホントに羨ましかった。油絵もプロ並みで、個展を開いて売れた…とも言っていた。
以前のメールでは、時々施設に入ることもあるようだったが主に彼女が家で介護をしていて、コロナのときは戦々恐々としていたらしい。
ワクチンを済ませたときは心からホッとした様子だった。
すぐにでも会いたかったけれど、原油高もあり、個人旅行は躊躇われた。
そして今回のメールには、その後、ご主人が数々の手術を経験され、あまり調子が良くないようなことが書かれていた。
多くの助けを借りてはいるらしいが、彼女も24時間気が抜けない様子だった💧
5年(以上)前の私と、完璧なほどオーバーラップした。
すぐにでも駆けつけて手伝いたい🤔
が、例え「どこでもドア」があったとして、それを開けて彼女のアパートに行って “お粥さん” を炊いても困惑されるだけ。
良い方向に向かうよう、祈るしかできない自分がもどかしい。
私が「ラストソング」📕を書いたのは、自分の経験を吐露したい…との気持ちが一番だったけれど、これから私のような経験をする人たちが続くであろう、そんなときに読んでもらえれば…との気持ちもあった。
おひとりさまの親介護だけではない、彼女のように子供のない夫婦やパートナー、家族がいても離れ離れの家族。
今は行政の助けもあるし、お金のある人は人を雇うこともできる。
でも精神的な孤立感は完全には解消しない。
そしてそれは日本に限った話ではない…ということに気づいた。
彼女に私の本を届けようか?
でも、このまま送っても、訳の分からない文字が印刷された紙に過ぎない。
私はほんの一部だけ、英語への翻訳を試みることにした。
これからは「語学」を、お金を儲けるためではなく自分のために使おうと思ったのは、ほんの2、3年前。
言葉とは(日本語も含めて)本来、自分の気持ちを伝えるため、相手の言いたいことを理解するためのもの…と。
いつか彼女に再会して、お互い辛かった思いを理解し合い、ともに笑いとともに流せる日のために、私の語学修行は続く😠