脅威の記憶力を持った友人がいる。
わたしとほぼ同い年でありながら、大学時代に受けた、有名国語学者の講義をメールに書いてくれたりする。
しかも、その記憶は正確。
おそらく20年前のアリバイ証言も彼女に頼めばしてくれるだろう。
まさに「歩く大英図書館」🤓
(注:「大英博物館」ではないですよ。)
それに比べると、私はさしずめ昭和の駅前本屋📚
ちっちゃな店にマンガ本や趣味の本、週刊誌や月刊誌ばかり…みたいな。
言い訳がましいが、これは専門性もあるかな?…と。
彼女が専門としている「言語」は流動的ではあるものの、そう短いスパンで変わるものではない。
話し言葉は変わったとしても、文法構造とか表現方法は(数十年では)不変のはずだし、古い表現の方が格調高く感じることもある。
言語とともに学習するであろう歴史も、解釈が変わることはあっても史実が変わることはない(聖徳太子は改名されたらしいけれど業績は変わらない)。
つまり、記憶がいいほど有利🤗
それとは対照的に、私が専門としている薬学やバイオは、まさに週刊誌や月刊誌と同じくらいのスパンで変わっている。
私が今まで学習したことは、殆どが化石化した💧
抗体医療、iPS細胞などの新しい概念はもちろんのこと、同じ薬でも違う効能で使用されたり、測定法や検査法なども変わり、薬を扱う法律も変わった。
血中コレステロールなどの測定法も基準値も変わった。
面倒なのは、不変と信じ記憶に留めていたことがいつの間にか変わっていたこと。
原語(英語)は同じなのに日本語が変わっていて驚いたこともあった。
そして最近びっくりポン😳したのは、植物の科名まで変わっていたこと🌿
薬学をおさめたことがあるものなら誰でも知っている、ジギタリス。
わたしと同世代の人なら「ゴマノハグサ科」と覚えているはずだが、いつの間にか「オオバコ科」になっていた😵
ジギタリスだけではない、多くの植物の科名が変わっている❗️
遺伝子解析技術のおかげだ。
一見よく似たファミリーだったのに、DNAを調べてみたら隣のファミリーの子が混じっていた…みたいな、人間界だったら大ニュースになる事例がいっぱい。
不変と思われていたことすら、変わってしまっていた…💧
したがって私のいる世界では、記憶力が良いと「ウソつき」になりかねない。
小さいけど「古本屋」ではないので、先月/先週号の雑誌が置いてあってはいけないのです😛
先週から始まった、連続テレビ小説「らんまん」。
牧野富太郎の展覧会が、今はなき小田急百貨店で開催され、今は亡き父と見に行ったことがあった。
今でも何冊か、我が家には牧野氏についての本がある。
牧野氏は、植物の形態・生態から科名を定めた🌱
その多くもDNA解析により変わってしまったことだろう。
人間の家族だって、養子養女でファミリーを繋いできた。
科名くらい、そのままでもいいんじゃ…ねぇ、牧野さん🤔