アベノ・マスクの発送が始まったそうだ。
ありがたく、受け取りましょう。
「だっさ!」なんて言っては、バチが当たります。
ガーゼマスクが登場したのは、スペイン風邪が流行ったときだという。
以来、マスクは、風邪を引いた人が(仕方なしに)するものだった。
日本人とマスクとの関係を変えたのは、平成時代に日本に蔓延した、スギとヒノキの花粉症だ。
花粉症にはマスクが有効であることがわかり、衛生用品メーカーが不織布でできたマスクを開発した。「立体型マスク」「3Dマスク」などと呼ばれ、クチバシのような形のものが主流だった。
このマスクは花粉症患者の増加に伴って普及した。メイクくずれが少ないので女子にも受けた。何より便利だったのは、「使い捨て」だったことだ。ガーゼマスクは一度洗うとゴロゴロしてみっともない。これだといつもパリッとしていてシュッとしている!
やがてヒダ付きの型も登場し、大箱入りも登場した。
花粉症ではない人たちも、目をつけた。
女子高生、芸能人、犯罪者(?)…。
災害時の避難所では必需品となった。風邪の予防になり、寒さ防止になり、復興作業の必需品でもあった。詳しくは2月10日のブログを見てください。
医療現場でも普及した。
昭和生まれの人は思い出してほしい。昭和の医師も “看護婦” も多くはマスクはしていなかった…でしょ? マスクをしていたのは、手術のとき、歯科医、耳鼻咽喉科医など。病院のスタッフがそろってマスクをつけるようになったのは、不織布マスクが登場してからではないかと思う。
こうやって日本にマスク文化が根づいた。
アジアの国々でも受け入れられた。アジアには大気汚染が問題になっている国が多く、彼らは汚染された空気から自分達を守るためにマスクを常用した。
日本人にとって、そしてアジア人にとって、マスクは「自分から出るものをストップするため」ではなく「自分達を守るため」のものとなった。
SARSや新型インフルエンザが流行したときには、アジアの国々でマスクをかけた人が街を埋め尽くし、マスク文化のない欧米のメディアは、畏怖の念を持ってこの光景を伝えた。
花粉症の流行がない欧米では、マスクは依然として「風邪を引いた人が(仕方なしに)するもの」だったのだ。つい最近まで、マスクは店で買うものではなく、病院から出されるもの(眼帯や包帯のように)だという国もあったらしい。
いっぽう、日本の家庭にはマスクは必ず置いてあるのではないだろうか。我が家も、父が病弱になってから大箱入りのマスクを購入し、それが未だに役に立っている。父の「大いなる遺産」と言っても過言ではない(買ったのは私だけど)。
今回のCovid19流行は、日本ではちょうど花粉症の時期と重なり、花粉症の人はもちろん、花粉症ではない人たちもマスクを我さきにかけ始めた。最初にかけたのは、外国人相手のお店の人たちだった。今では慣れたけれど、百貨店の店員がマスクをかけている光景は衝撃的でもあった。
欧米人の目には、集団マスク姿は依然として「気持ち悪い」ものでしかなかった。有効性がありそうだと分かってきても依然、マスクを拒否した。文化の壁の厚さをこんなに実感させられたことはない。
テレビで「アベノ・マスク(ガーゼマスク)はウイルス予防に有効か」という質問が取り上げられて、専門家がその都度一生懸命に言葉を選んでいる。挙げ句の果てにはっきりとした結論を出さないのだが、それもそのはず。質問自体がナンセンスなのだ。
というのは、質問者の前提として「不織布マスクは有効」という思い込みがあるからだ。
そもそも、どのような素材であれ、マスクはウイルス「予防」に有効だということを示す実験もなければ、規格もないのだ。不織布マスクにだって、素材も厚さも加工技術もさまざまある。
例えば防塵マスクや医療従事者用マスクなど、かける人を守るためのマスクには規格がある。規格がないマスクでは、安心して仕事ができない。
だけど、「自分から出るものをストップするため」にする、一般向けのマスクには規格はないのだ。そういう意味では、不織布マスクも、アベノ・マスクも、流行の手作りマスクも皆同じ。規格を作ろうにも、どの素材もウイルスより大きな網目だし、仮に通さないほど細かい素材のマスクができたとしても、人の顔の大きさや形は様々なので、かける人によっても性能が違ってしまう。
マスクの「(予防) 性能」みたいなものがあるとすれば、マスクの材質よりも、フィット性や取り扱い方が関係するのではないだろうか。例えば医療用マスクでも、隙間があいていたり、取り扱いがぞんざいだったりすれば、その性能を十分に発揮することはできない。
ちなみに私は、ちょっとチープな不織布マスクのほうが高級感のあるマスクよりぴったりする。
高級にできている人にはきっと、高級マスクがピッタリなのだろう。「立体型マスク」として有名になった形は、現在、布マスクやウレタンマスクなどでも採用されており、顔が立体的な人に向いている。日本では見かけないが、イギリスなどではカモノハシのクチバシのような形のマスクもあるようだ。あの形は、ペストが流行したときにフランスの医師が考案した「くちばしマスク」を真似したのかもしれない(使い捨てにするには勿体なさすぎる)。
アベノ・マスクのサイズ、95mm×135mmは日本の伝統のようだ。日本人の顔のサイズというより、布を100mm×150mmに裁断したという製造上の理由ではないだろうか。
最近は「ガーゼマスクは有効か」という議論は、あまり聞かなくなった。皆がマスクの役割を理解したというよりも、流行が「あなたも私も感染者?」のステージとなり、マスク本来の役割りを発揮しつつあるからではないかと、私は思う。
私たちの意識も変わってきた。かつては美容院に行って、担当の美容師さんがマスクをしていたら「出直そうかな」と思ったかもしれないが、今はかけている人を指名しようかとさえ思う。保母さんや教師などの感染が報じられても、「ずっとマスクを着用していたそうです」と言われると、他人事でも少しホッとする。
店によっては、マスクをしていないと入れないこともある。マスクをしなさいという条例までできたそうだ。マスクは今や、エチケットを通り越して常識になりつつある。
ガーゼマスクに欠点があるとすれば、「旧態依然」ということだ。
私が子供の頃にかけさせられたマスクと何一つ変わっていない。おそらく1918年のスペイン・インフルエンザの時と同じ形、もしかしたら素材も同じかもしれない。他の物品はほとんどが形や素材を変えている。確かに、簡単に作れる=低コストかもしれないが、長く使ってもらえるために、少なくとも、最近テレビで各自治体の長がしているような布マスクに進化してもいいのではないかと思う。