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「ラスト・ソング」のその後

ビールス君へのインタビュー

私が子供の頃、風邪は「ビールス」が原因だと言われていた。

 

英語でVirus、バイラスと読む。ビールスのほうが可愛いのに、いつの間にか「ウイルス」と呼ばれていた。

 

初っ端から余談だが、インフルエンザはウイルスが引き起こすということは、子供でも知っている。

が、「インフルエンザ菌」という「細菌」も存在する。昔、インフルエンザに罹った人から分離されて、これが原因菌だと思われてしまった。学校では、その注釈とともに学習する。いっそのこと名前を変えれば、濡れ衣を着せられた細菌さんも喜ぶのに…と思う。

 

さて、ウイルスは、膜などの中にDNAまたはRNAといった遺伝子が詰め込まれただけのものだ。

呼吸もしていないし、勝手に分裂して増えることもないから、「生物と無生物の間」と言われる。ちなみに細菌はれっきとした生物だ。

ウイルスの遺伝子数は少ないので解析はすぐにできる。新型肺炎も流行する以前に遺伝子配列は解析され、コロナウイルスの遺伝子が変異したものであることが分かった。

 

今は、こうやって遺伝子配列がすぐに分かるが、そうでない時代のほうが長かった。

解析されない時代にも、当然、遺伝子の組み替えは起こっていただろうし、人間界に放出されたこともあったはずだ。

おそらく1回や2回ではないと思う。何百回、何千回とあったのではないだろうか?「従来の」コロナウイルスだって、かつては「新型」だったのかもしれない。

 

今までだったら、ある集団内だけに広まって、「今年の風邪」で終わっていたのかもしれない。際だった症状もなければ、致死率だってさほど高くない。

かつては中国のある街に住む人たちが “こぞって” 海外旅行をすることはなかったし、外国企業も進出していなかった。

 

クルーズ船の旅はなかったかもしれないが、船旅はあった。

たとえ船内に持ち込む人がいたところで、数日の船旅だったら気がつかれることもなく、感染して下船した人たちも「旅の疲れで風邪をこじらせて」亡くなったと思われていたに違いない。

そもそも高齢者は船旅をしなかった。船に乗っていたのは、”罹っても軽症” の若者ばかりだ。

 

たとえ日本に上陸したとしても、「ビールス」と呼んでいた時代の日本には未だスポーツジムもライブハウスもない。老人クラブくらいはあったかもしれない。静かに囲碁を打ったり、ゲートボールに興じたり。市民スポーツも、仲間同士、屋外で行うのが主流だった。

満員電車はあったが、電車の窓は頻繁に開けられていた(花粉症の人も少なかった)。学校も、会社も、暖房で淀んだ空気を入れ替えるため、頻繁に窓が解放された。

密閉空間が今より格段に少なかった当時、話題になっている「クラスター」も発生しにくかったに違いない。

 

PCR検査も、それ以前にインフルエンザの診断キットも治療薬もなかったが、”風邪” は風邪薬を飲んで寝て治すものだった。家も今より広かったから、隠居の老人にうつることも少なかったかもしれない。さらに病人のいる部屋は換気をするのが普通だった。医師の往診も普通に行われていたので、(お医者さんには負担だったと思うが)医院に患者がひしめき合うこともなかった。

 

たとえ、おじいちゃんが肺炎で死んでも、「ちょっと早いけど、寿命だったのよ」「あら、〇〇さんのおばあちゃんも風邪こじらせて亡くなったって」「今年の風邪はこじれやすいのね」で片付けられていたのだろう。

 

新種の「ビールス」は今までも登場しては消えていたはずだ。そうっと人間界に侵入し、小さなコミュニティだけに広まって、「今年の風邪」と呼ばれ、メアドともキーワードとも区別のつかない、アルファベットと数字を連ねた名前さえつけてもらえぬまま消滅したのであろう。

今回もそのつもりだったのに、悪目立ちし、世界中の話題を独占することになってしまった。

ビールス氏に今の気持ちを語ってもらおう。

 

こんな答えだろうか:

「悪気なんて全然ないんだよ。どころか、私は穏やかな性格と言われているくらいで、ひっそり目立たず、動物の中で暮らすつもりだった。なのに、気がついたら人間界に引っ張り出されて、囚人番号みたいな名前をつけられていた。旅行だってそんなに好きじゃないのに、世界中に広めて増やしたのは人間じゃないのかね?」と。

 

ついでにこう言うかも:

「日本のニュースに毎回映るあの白黒写真、どうにかならない~? 犯人写真みたいじゃね。もっとマシなの、ないのぉ? “バエる” やつ、あるじゃん。できれば金色に加工して。コロナ色にさ!」と。