Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

あの頃のデパート、未来のデパート

新宿の小田急百貨店が今秋、建替えに入る。
再開予定は7年後。その頃には私は立派な「おばば」になってしまう。
新規開店するデパートが高齢者をターゲットにするとも思えないから、もうこのデパートとのお付き合いは終わりになるのかもしれない。

小田急百貨店は一番便利でありながら、頻繁に利用するようになったのはここ十数年のこと。
子供の頃の私のお気に入りは、京王百貨店だった。

昭和の京王百貨店は、目を閉じれば浮かんでくるくらい、よく覚えている。
トイレの中も。その匂いまでも。
洋服も、その頃はブラウス、スカートなどのアイテム別になっていて、ガラスケースに入っていた。ケースの中に蛍光灯がついているものもあった気がする。

ある程度腹が決まると、デパートの制服を着た店員さんがケースの扉を開けて一つ一つ出してくれた。
そして、買ったものはデパート固有の包み紙できれいに包まれ、デパート固有の紙袋に入れられた。

私は、店員さんが包装紙で商品を包んでくれるのを見るのが好きだった。どんな形でもどんな大きさでも、きっちりと商品が包まれていくのは魔法のようだった。そうやって包まれた商品は、どれもが特別のように見えた。プラスチック容器やバッグのない時代は、食料品も包装紙で包まれ、さほど買い物をしていなくても、家に帰って包装紙を開けるのがひと作業だったほどだ。まだ使えそうな包装紙はきちんとたたんで取っておいた。

祖母や母の着物を処分していたときも、"たとう紙" にデパート名が書かれているものが多かった。
そう言えば、私の七五三の着物も小田急百貨店で揃えたと思う。専門店の敷居をまたぎづらい庶民にとって、デパートの和服売り場は入りやすく、品揃えも多彩で、品質も保証されていたのだと思う。

当時のデパートは、最上階がアミューズメント・パークとなっていた。渋谷のデパートにはちっちゃな動物園があって、ヤギやアヒルがいたように思う(ゾウのいたデパートもあった…と聞いたのはつい最近のことだが)。あの手この手を使って、「お子様」の関心を引こうと、デパートは必死になっていたのだ。

最上階のすぐ下にある食堂も、「お子様」を連れた家族連れをターゲットにしていた。
当時の定番、お子様ランチ。チキンライスはどこのデパートのも冷えていて美味しくなかったが、そこに刺さっているデパートのロゴ入りの旗がワクワク感を演出してくれていた。

夏休みシーズンにはお子様向けイベントが目白押しだった。自由研究向け商品の販売コーナーができ、夏休み期間のお天気を一覧表にしたもの(たまった絵日記を書くため)が配られ、宿題の相談にのってくれるイベントまであった。

デパートは我々の生活のあらゆるところに浸透していた。

今のように特化されたお店がない時代、家電も、おもちゃも、家具も、一番そろっているのがデパートだった。贈答品は有名デパートに限られた。全国規模の老舗百貨店の包装紙にくるまれた贈答品が(中身は何であれ)珍重された。

エレベーター・ガールは当時の女子の憧れだった。華やかな制服は、バブル期になると競ったようにブランド化し、タウン誌の話題ともなった。
小田急百貨店にはエレベーターが数カ所あるが、その一カ所に一時期、男子の(おそらく)新入社員が配置されていたことがあって、私はそのエレベーターをよく使った。今では他のエレベーター同様、自動運転になっている。

昔のデパ地下は記憶にないが、おそらく贈答用の(保存の利く)食品や、ケーキ類が中心だったのではないだろうか。
プラスチック容器が普及し、働く女性が増えて、デパ地下は大きく進化した…のだと思う。
それまでは地上の売り場とさほど変わらぬ重要性だった地下食品売り場だったが、今ではどのデパートでも主力選手。コロナ禍にあっては、唯一あいているフロアだった。

専門店の台頭とともに、デパートは変容を余儀なくされた。
当初はお客さんを取り戻そうと、デパートも知恵を絞っていた。屋上はビヤガーデンとなり、カルチャースクールが入り、競ってブランドショップを取り込み始めた。
バッグで有名なLVは当初西武百貨店にしか入っておらず、私も初めてのボーナスを握りしめてハンドバックを買いに行った。

プロ野球優勝セールも目玉だった。西武ライオンズが王手をかけると、にわかファンが増えた。優勝した暁には全品30%オフになったからだ。他のデパートも黙っていなかった。ジャイアンツ→そごうデパートは分からないではないが、タイガースが優勝したときは何故か京王百貨店がセールをしていたっけ。

そういった努力もむなしく、いくつかのデパートは家電量販店に身を売り、いくつかは外国人観光客に媚びを売り、あるデパートは高齢者専門店となった(エスカレーターの運転速度が遅すぎます💧)。
一方、季節限定ショップとイベントにデパートの力点は絞られ、行列ができるものが量産された。お正月の福袋、物産展、質流れ品セール、バレンタインやホワイトデー商戦はデパートが中心となって発展し、日本の代表的文化となった。

母も祖母も、晩年はデパートを歩くのが一つの(大きな)趣味になっていた。
きれいな服や小物をただ見て歩くのが楽しかったのだろう。空調が整い、雨風関係なく、平らな廊下を心配なく歩き回れるデパートは、年寄りにとって格好の散歩道なのだ。

特に、外は冷たい風が吹いていて、それなのに花粉が舞い始めている今日この頃、デパートの中には春色の商品が満開で、華やいだ気分になれる。

私も、父が入院して気が滅入ったとき、何度デパートさんに癒やしてもらったことか。
仕事帰り、乗り換えついでの気分転換に利用させていただいたこともあった。
外で嫌なことがあったとき、デパートは、それを家に持ち帰らないための、大切な「厄落とし」の場でもあった。

これから「デパート歩きが生きがい」となろうと言うとき、そのデパートが催し物場とブランドショップばかりになってしまったら、やっぱりさみしい。

確かに外国人観光客やヤング・セレブほどにお金は使わないかもしれない。
だからって、日本の高齢者が買い物に興味がないわけではない。若いときに失敗した経験がありすぎて、ちょっと慎重になっているだけ。気分が上がるものがあれば、喜んでお金を払うはずだ。
シルバーカーで走り回れたり(危険?)、椅子に座っているだけで全ての売り場に移動できると、足腰が弱ってもたくさんお買い物ができる。若い男子がエスコートしてくれたら、日本のばあちゃんだって爆買いするに違いない。

死ぬまで買い物の高揚感を感じさせてくれるような、未来のデパートの出現を祈ります。

f:id:auntmee:20220209201321j:plain

私の「推し」。古き良きデパートは本の中にだけあるのです。