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「ラスト・ソング」のその後

絶滅危惧書店

かつては日本の殆どの駅の近くに本屋があった🚉

雑誌や、ほんの少しの文庫本、文房具や競馬新聞なんかが置いてあり、立ち読みだけして帰る客も多かった。

 

私の最寄り駅の前にも、小さな店があった。

中学生になって自由度が増すと、帰宅途中に足繁く通うようになった📚

「りぼん」「non-no」「an-an」「明星」「JJ

 

やがて雑誌コーナーから飛び出して、部活のコーチに勧められた海外の推理小説も買うようになった。初めて聞く、珍しい著者名をそのちっちゃな店の本棚に見つけたときは正直びっくりした。

今思うと、その時代、発行されていた本の種類自体が限られていたのだろう。

 

犬神家の一族」が映画ヒットすると、文庫本のコーナーに黒背表紙の横溝作品がずらりと並んだ📓

表紙絵が恐ろしくて、買う気になれなかった🙀

 

我が家は、前にも書いたかもしれないが、外食といっても近所の小さいレストランや飲み屋ばかり。

しかも食後のコーヒーなど飲まない(ケチ😛

その代わりに、食後に駅近本屋に寄る。祖母も一緒だ。

 

「好きな本を何でも買ってやろう」と父が言う。

と言っても小さな本屋なので大した本はない。迷いに迷った挙句、漫画本や図鑑を買ってもらった(しかも「がきデカ」などねだれるはずもなく、家族で楽しめる「サザエさん」あたりで妥協した。私なりに気をつかっていたのだ😄)。

 

たまに私の好みなど無視して「これはいい本だぞ」と、分厚い文庫本を勝手に買ってくれたこともあった📘

「え〜😥」っと思ったが、読んでみると面白くて数回読み返した。

 

お腹いっぱい食べた後、本を見ていると「もよおす💩」のが私の常で、書店の奥にあるトイレを借りたことも数回あった。

 

パソコンもスマホもなかった昭和時代、本屋は情報基地でもあった。

プチ旅行の列車の時刻も、ふらりと立ち寄った本屋で調べた。

週末に何か映画が見たければ、情報誌をペラペラとめくった。

夕食の献立をパクりに通う人も、いたことだろう。

贔屓の「スタア」やスポーツ選手の写真を拝みに通った人も、いたはずだ(家庭用ビデオもなかったし、新聞の写真はモノクロだった💧)。

 

特に本好きでなくとも、特に求めるものがなくても、誰もが隙間時間にふら〜っと本屋に寄った。

バスや電車の待ち時間なんかにも。

 

思えばあの頃が活字文化の最盛期だった📙

本の種類や部数は今より少なかったとしても。

 

駅近書店は勢いを増し、デパートにも、ファッションビルにも大型書店が入るようになった。

個人営業の書店は、チェーン店に次々と取って代わられるようになった。

おそらくスーパーやコンビニと同じ、商品の種類が一気に増えて、大型店でないと管理が困難になったのではないかと思う。

 

そして、都会の灯りとともに星が消えていったように、本屋もどんどん消えている。

 

以前に書いたデパートの消失も手伝って、私の家から徒歩20分以内で行ける書店は、ほぼゼロになった🚶‍♂️

もうちょっと足を伸ばすとしても、片手で数えられるほどしかない💧

 

本屋がないと本が買えないというわけではない。

でも、ふらっとあてもなく寄って、何気に手に取って読んで、へぇっと思ったら買っちゃうそういう楽しみが過去のものになってしまった😥

 

大都会のターミナル駅にも、そしておそらく地方の小さな駅にもあったであろう、駅近書店。

それぞれに、昭和人の思い出がつまっていたに違いない。