私が「青山デビュー」したのは、中学1年の秋。
…なんて言うと、😳または😒と思われそうだけど、青山はごく普通の住宅街だった。
オシャレなのは青山通り沿いのごく一部だけで、今でも一歩裏に入ると木造家屋を見ることもできる。公営住宅や団地はつい最近まで多数存在した。
ちなみにこの場合の「デビュー」は一人で徘徊すること。
両親に連れられて行ったのはもっともっと幼い頃からだったと思う。
中学1年の夏、中耳炎をかなりこじらせてしまった。近所の医者の処置が悪かったのだ。
そこで母がつれて行ってくれたのが、外苑前駅近くの小さな耳鼻科医院だった👂
ベルコモンズやサンクレスト…ナウいビルの陰にひっそりとその医院は佇んでいた🌆
小さな一軒家で、(当時の私から見ると)おじいさんの先生が、いとも簡単に私の耳を処置してくれた。一瞬痛かったけれど、溜まっていた悪いものが吸い取られていく実感があった。
愛想みたいなものはなかったけれど、目が優しくて、この先生なら信頼できると思った。
ただ、こじらせた期間が長かったため、耳鳴りの症状が残り、木枯らしが吹く頃までそこに通院した。
そこには実に多くの人が通院しており、小さな待合室には連日、人が溢れていた。
毎日、少なくとも1時間は待たされた。退屈した私は、待ち時間に近所を探検した。
が、中学1年の私に青山の良さなど分かるわけもない。ただのつまらない街でしかなかった。
後になって、その医院には父もかつてお世話になったと聞いた。
結婚を控えた父は、副鼻腔炎で手術するために入院し、母が見舞いに行ったらしい。
あんな小さな医院に入院施設があったのかと聞くと、上は住居で、三畳だか四畳半だかの畳部屋の病室があったと言う。
食事は先生の奥さんが、家族と同じものを作って出してくれたそうだ。
父の副鼻腔炎はスッキリ治り、再発することも、後遺症もなかった。
小さな和室で、父と母はどんな会話をしたのだろう💏
20年ほど前だろうか、その医院のあったところにキレイなビルができ、そこの最上階で先生の娘さんと思われる人が診察を始めた。内科だったけど。
先生は、父が亡くなるのと前後して天に召されたと、たまたま見たWebサイトに書いてあった。
(案外若かったんだ…とそのとき思った😄)
先生には親子二代、助けていただいた。感謝してます🙏
そしてあの小さな待合室で待っていた患者さんたちも感謝してます、きっと。
青山でデート…なんて言うと、オシャレな都会のカップルみたいだけれど、ほんの数年前まで青山は一歩入ると生活感漂うフツーの街だった。
学童館からは子供達の騒ぎ声が聞こえてきたし、スーパーはモノが豊富で案外安かった。
公団住宅、都営住宅…、この辺りに住んでいる人たちは芸能人でもセレブでもない、ごく普通の人たちばかりだった。
そんな街が再三、再開発の嵐にさらされ、裏の裏まで「オシャレな街」に生まれ変わろうとしている…らしい。
住み慣れた人たちは、それを望んでいたのだろうか🙄