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「ラスト・ソング」のその後

訪欧大飛行

大正14年7月、「初風(はつかぜ)」「東風(こちかぜ)」という2機の飛行機が代々木練兵場(現在の代々木公園)から飛び立った。

乗員は4人、そのうちの一人が私の母方の祖父だった。祖父は飛行機の機関士だった。

 

まだエンジンの性能も低く、事故死する飛行士の数が年間20人近くにものぼった時代、95日をかけて、平壌、モスクワ、ベルリン、パリ、ロンドンなど20余箇所を経由し、ローマまで飛んだと言う。飛行高度もおそらく低く、計測機器も発達しておらず、操作もメンテもマニュアルで、大陸を横断するのは、知力・体力・判断力だけでなく、運を味方につける力も必要だったのではないだろうか。そうやって到着した先々で、祖父たちは大いに歓迎を受け、日本の飛行技術の高さを世界中に知らしめることになった。

 

本来だったら、一族の誇りで、いくら自慢してもしきれないほどの出来事である。

にもかかわらず、私は、母が亡くなって数年経つまで、この事実を知らなかった。

飛行機乗りだったということは聞いていたが、母が多くを語ることはなかった。

 

おそらくそれは、母が控え目だったからだけではなく、母が祖父をよく知らなかったからではないだろうか。

祖父が亡くなったのは、母が4歳のときだった。飛行機乗りという仕事柄、家に帰ることも少なかったのかもしれない。記憶もほとんどなく、話だけに聞く “飛行機乗りのおじさん” を、父親として誇るのは難しかったのだろう。

ひょっとしたら、母は、そんなに偉いお父さんでなくていいから、一緒にいてほしかった…のかもしれない。

 

母から語られることのなかった祖父の像が私の中に結ばれ始めたのは、横浜で展覧会が催され、「朝日新聞訪欧大飛行」(前間孝則著)という本が出版されてからだった。祖父の写真も何枚か見ることができた。飛行機を背景に、飛行服に身を包んだ祖父からは後光がさしているようで、当然ながら母や母のきょうだい達によく似ている。

 

しかし我が家に飾ってある写真の祖父からは、後光はさしていない。

おじいちゃんったら、何がそんなにおかしかったのだろう?…と問いかけたくなるような写真だ。

 

一生に何回、写真を撮るか…というほどの時代、真面目な表情でレンズに向かうのが普通だ。なのに写真の祖父の表情筋は思いっきり緩んでいる。そして丸メガネをかけた祖父の顔は、母のダンナさま=私の父によく似ている。

母が、父との結婚を決めたのは、案外、意識下の記憶に刻まれた、こんな祖父の笑顔だったのではないかと思った。

 

祖父は無事にフライトを終え、飛行機ともども船に乗って日本に帰ってきたが、数年後(昭和7年)、日満議定書調印のニュースを積んで満州から大阪への飛行中に山陰沖で消息を断ち、後日機体の一部が発見されたという。

ずっと後になって、鳥取県の八橋城跡に「飛行殉難碑」が建てられた。

(もうちょっと交通アクセスの良いところに建ててほしかった。)

 

つい先日知ったのだが、祖父が海上で命を失ったとされる日は9月15日だという。

父の命日と同じ日だ。

これからは9月15日に、お供え2倍にして拝ませていただこうと思う。ウチの仏壇だけど、家庭の仏壇はあの世のATMみたいなもの。きっとあの世の本部は繋がっている。

 

祖父はシベリアの大地で、ヨーロッパの街で、どんな景色を見たのだろう?

アルセーヌ・ルパンやシャーロック・ホームズにも会ったのだろうか。

パリではカフェ体験もしたのだろうか? テムズ川の鰻はどんな味だっただろう?

英雄と言えど、まだ30代そこそこの青年たちだ。初めて見る風景に目を輝かせ、珍しい食べ物に舌鼓を打ち、青い目の美人に見惚れた…こともあったかもしれない。

 

祖父のことを知るずっと前から、私は空の旅が大好きだった。

地上を走る自動車ではすぐ酔うのに、飛行機は乱気流にあっても大丈夫。生まれつき魔法にかけられていたかのようだ。

 

しかし、船も、自動車も、電車も、バイク・自転車も、あてもなくふらっと乗ることができるというのに、飛行機にはふらっと乗ることはできない。クルーズ船はあってもクルーズ飛行機はない。

 

父の介護中にも思ったのだけど、数時間だけでいいから雲海を堪能して、”美味しい” 機内食を味わって、Duty Freeでお買い物ができるツアーがあればいいのに…。

飛行機のミステリー・ツアーなどがあっても楽しいのに…。

JALさん、よろしくお願いします🙏

 

残りの人生の中で、私は祖父の訪れた地を自分の目で確かめて来たい。

2025年、祖父の訪欧大飛行から100年になる。

その頃には自由に旅行ができるようになっていますように。

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「訪欧大飛行」ノート。飛行士4人の一番右が私の祖父(らしい)。