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「ラスト・ソング」のその後

親のモノを片付けながら(その1)

親が残したモノの処分は、子孫にとって頭の痛い問題だ。

 

現在80代以上の人たち(ここでは90代も含めてオクトジェ=octogenarianと勝手に呼ばせていただこう)は、戦中戦後のモノのない時代に子供時代を過ごし、高度成長期に職に就いた。当時は正社員が多数派だったし、退職金も年金も保障されていた。給料は上がるし、ボーナスだってもらえる。テレビ、家電、自動車、クーラー…、今までなかったモノ、夢のような商品がどんどん市場に現れた。

 

私は今でも、家庭用かき氷製造機を買ってきた母の笑顔が忘れられない。冷凍冷蔵庫が登場し、家庭で氷が作れるようになったおかげだ。毎日、いろいろな味のかき氷を楽しんだ。

そのかき氷製造機は、お役御免になった後も、私に発掘される約35年後までずっと納戸で眠っていた。

 

カメラも普及した。フィルム式で焼くのにもお金がかかったが、せっせとシャッターを押した。家族写真、旅行写真…。当時、写真が出来上がるのには2、3日。お金もかかったが、できた写真を見るときのワクワク感はデジタル写真では味わえない。ネガを丹念に見返して焼き増しもした。

できた写真は、分厚いアルバムを買ってきて、持ち帰った箸袋などと一緒に、丁寧に貼り付け、後日見返す。(それ自体は豊かな時間の過ごし方である。) 多少ピンボケの写真も、ネガも、みんな取っておく。

 

そして迎えた定年退職。バブルも弾け、百均やらファスト衣料、家電量販店が台頭し、モノの値段が下がった。年金暮らしとなった身には好都合。昔に比べて格段に良いモノが、安く手に入る。

両親揃って満面の笑顔で百均の特大レジ袋を提げて帰ってきたのは一度や二度ではない。お墓参りの後に百均とディスカウントショップを巡礼するのが、晩年の両親の楽しみの一つだった。

 

それでも、幼い頃に叩き込まれた「モノは大切に」の教訓はしっかり浸透している。思い出の品はもちろん、壊れたり使えなくなっても、ポイ!…という訳にはいかない。

 

何より、モノの無い時代を経験しているオクトジェにとっては、モノに囲まれていること自体がハッピーなのだ。空襲で持ち物全てを失った人もいる。絵を描きたいのに紙もクレヨンもなかった頃や、服は全てきょうだいのお下がりだった頃を思うと、短くなった色鉛筆も、着れなくなった服だって愛おしい。

 

今のモノは壊れにくい。昔のプラスチックは太陽光に長時間曝されると変色・分解したものだが、今のプラスチックは文字通り永遠だ。

洋服も型崩れしなくなった。流行がうんと過ぎても、自分のサイズが変わらない限り、ずうっと着れちゃう。(私が着れなくても、お嫁ちゃんが着てくれるかしら?)

家電も壊れなくなった。テレビも火を吹かなくなった(昔は吹いたらしい)。CDラジカセも、CDは壊れても “ラジ” は健在。代わりの機械を買っても、ラジオとして使おう…と言ってとっておく。

 

加えて、オクトジェ世代の記録媒体は紙である。手紙、日記、手帳、住所録、写真、家計簿(ウチの母の場合)、新聞の切り抜き(父の場合)…etc…

電子媒体と違って、これらは簡単に消去できない。悪いことに、年月が経つほど捨てがたくなる。残された子孫も、他のモノは処分できても、これらは簡単に捨てられない。

 

さらに歳をとってくると外出が容易でなくなる。買えるときに…と、多めに買ってしまっては、ときにそれを忘れてしまう。病気がちだった母は下着とパジャマを大量に買い込み、父は殺菌剤入りボディソープをたくさん残した。母の下着は有用だったが、父のソープにいたっては使う由もなく、洗面所の棚を埋めている。

 

…といった具合で、オクトジェは大量のモノを残し、自分は身一つになってあの世へ旅立つ。

残らず…は無理として、アルバムだけでも棺に入れてあげたいけれど、葬儀屋が目を光らせている。

 

親と離れて暮らしている人たちは、実家の片付けのために大切な休みを費やし、体力を消耗し、さらに大金を払って処分をしなければならない。処分しきれなかったものを、今住んでいる家に搬入するのも重荷であろう。一人でやるのも大変だが、考え方が違う “きょうだい” がいると難航する。

 

片付け専門業者もある。ある優良業者をテレビ番組で放送していたことがあった。素晴らしい業者さんだったが、だからこそ依頼者も誠意を持って向き合わなければならない。「お金出すから、やっといてください」というわけにいかないのだ。それに…全部が全部、優良業者とは限らない。

 

そんな苦労を経験したセプチュアジェネリアン(septuagenarian =70代)の方たちは、同じ思いを子供世代にさせてはいけないと、終活に励み、モノを減らそうと努力する。だけど、いつからどの程度、モノを減らせばいいのか。勢いに任せて捨ててしまうと、また買い直す羽目になる。

 

江戸時代のようにモノのない家、芭蕉のような生き方ができたらどんなに身軽で気持ち良いだろう。だけど便利さに毒されてしまった私たちには到底真似できないのだ。