私は、人の記憶の中で太るらしい。
久しぶりに会った人から、必ずのように「痩せた?」と訊かれるのだ。
…いいえ、着実に肥えています。
ときに「ゲソっとした」と言われることも。
…もともとこんな感じです。レディーにそのようなことを言ってはいけません。
洋服を買おうと入った店でも、よく「お痩せになっているから」と言われる。
…そんなこと言わないでください。試着室から「上のサイズ、持ってきてくださーいっ」と叫びにくくなります。
「痩せた?」、「痩せている」を褒め言葉だと思っている人も多い。でも、これらの言葉を無条件に喜ぶのは、ダイエットに励んでいる人や、スタイルで稼いでいる人くらいだ。ダイエットもしていないのに「痩せる」のは、決して喜ばしいことではない。
世の人たちは「太っている」という言葉を “言ってはいけない言葉” として謹しもうとする。それと同じくらい、慢性的に痩せている人や「痩せてしまった人」にとって、「痩せている」は言われたくない言葉だ。
私は子供の頃、体重測定が大嫌いだった。なかなか20kgを超えない、30kgを超えない…、超えたと思ったら風邪をひいて後戻り。「健康優良児」が表彰された時代、「健康不良児」の烙印を押された私は、何かにつけ「もっと食べなきゃね」と言われた(私なりに食べてます。好き嫌いもありません)。
身長も人並み以下。やっと標準値があった♪…と思ったら「座高」だった。笑いを取ろうと思っているのではなく、本当の話だ。
「痩せている人」は晩年、さらに痩せてしまうものだ。
父も、食事はきちんと摂っていた。肉も魚もしっかり食べて、3時のおやつまで食べているのに、どんどん体重が落ちた。最晩年は、お尻の肉も落ちて椅子に腰掛けるのも痛いとうったえられ、椅子や座布団に工夫を凝らしたものだ。
ちなみにウ◯コは、普通のものが普通に出る。食べたモノがそのまま出ていくわけではない。まるでマジック。あの食事はどこへ行ってしまったのだろう⁉︎
「でもいいじゃない。病気の心配も少ないし」
…そんなことはないのです。食べているのだから高脂血症にも糖尿病にもなり得ます。血圧だって上がります。骨折のリスクは高いし、余力が少ないので、大病になったときに体力がもたない可能性もあります。膝だって、ちゃんと痛くなりますよ。
「服はずっと着れるでしょう」
…いえいえ、(健康であれば)洋服のサイズを決定する部位はしっかり成長するので、油断していると去年の服が入らなくなるのは同じです。
たとえSサイズだとしても、服の値段は同じだからお得というわけでは決してない。食事の量が少ないと言っても、ご飯を減らしたくらいで値段が安くなることもない。航空料金も、火葬料金も、値引きなどしてくれない。おそらく災害時の避難所暮らしとなると、先にマイってしまうだろう。
「いいよね」と二言目には言われるけれど、いったい「痩せている」ことでおトクなことって何だろう?
この前、数ヶ月ぶりに会った人が小さく、縮んでしまったように見えた。
具合でも悪いのだろうかと思ったが、きっと彼女は私の記憶の中で成長する人なのだ…と思い直して、その場は言葉をのんだ。