「おくさん、知ってる? 金物屋のおじいちゃんなくなったんだって!」
「えー、ついこの前お店にいたのに。どうしたの?」
「ぽっくり病だって。おとといの朝」
「あらやだ。まだ若かったんじゃない?」
「65ですって」
「そう、あんなに元気だったのにね。人の命なんて、わからないものねぇ」
昭和の商店街で、買い物かごを片手によく交わされていた会話だ。当時、平均寿命は70代前半だった記憶がある。
「ぽっくり病」とは、ある日突然倒れて、そのまま亡くなってしまう病気だ。心臓マヒのこともあれば、脳卒中のこともあった。私が子供の頃、年寄りの半数以上は「ぽっくり」死んでいたような気がする。
昭和には残念なニュアンスも含まれていた「ぽっくり病」だけど、平成になって数が激減し、寿命が延びると、次第に年寄りの憧れとなり、今や目標ですらある。
今だったら、こんな会話になるのだろうか。
「ぽっくり病だって、いいわねぇ」
「ホント、羨ましいわ。行いが良かったのかしらねぇ」
父は、「ピンしゃんコロリの会」という集まりに行っていた記憶がある。なるべく元気で長生きして、ある日突然コロリと死ぬことを目指して、研鑽を積む主旨の団体だったようだ。
「元気におやすみなさいを言って、朝起きてみたら死んでいた」というのが父の理想だった。気持ちは理解できるが、そのような死に方をされると家族は迷惑である(検死の必要があろう)。
「ぽっくり」死ななくなったことは、本当は素晴らしいことなのだ。
祖父のようになった者が病院で目覚めたとき、「助かった」「命をもらった」と思うだろう。これを機に人生をリセットする人だっているかもしれない。苦労をかけた家族に恩返ししたり、やり残したことができる人もいるだろう。
家族だって喜んでくれるだろう。急いで逝かれたのではお礼も、お別れも言えない。思い出の場所にもう一度行って思い出にゆっくり浸ることもできる。
それなのに、今度は「ぽっくり」が憧れになっているのは、医学の進歩と公衆衛生の向上のおかげで、死へのハードルがどんどん高くなっているせいもある。
肺炎も予防注射で、ある程度(全てではない)は防げる。
多くの病気は早期発見ができるようになり、薬や治療法が用意されている。
たいていの感染症は薬が効く。インフルエンザだって怖くない。
お風呂で死なないための対策がメディアを通じて周知され、夏になるとエアコンを入れるようテレビで再三、呼びかけられる。
都市部ではあちこちにAEDが設置されていて、道端で倒れても蘇生してもらえる。
お正月のお餅も、喉につかえにくいものがあるらしい。
高くなってしまったハードルは、「ぽっくり」と越すことはできない。
祖父は1週間で越せたハードルも、父は1ヶ月、病院で頑張らざるを得なかった。
それまでだって決してラクではなかった。「ラスト・ソング」では苦行と表現させていただいたけれど、病気持ちの老人が通院・治療を続けるのは、健康な若者が寺にこもり、滝を浴びて修行を積むより苦しいのではないかと思う。
これからもハードルは高くなり続けるのだろうか?
私たちは苦行どころか荒行をしないと、あの世へは行けなくなるのだろうか?