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「ラスト・ソング」のその後

チョコレート狂想曲🫶

バレンタインデーという言葉を初めて聞いたのは、小学生の頃ではないかと思う。

 

ちょうど同じ頃(だと思う)、近所の(古典的)洋菓子店にガラス張りのボンボンショコラ売り場が登場した。

フルーツや洋酒味のガナッシュチョコをチョコレートコーティングしたものは、(私の記憶では)一粒50円程度。当時の板チョコ一枚とほぼ同じ価格だった(のではないかと思う)。

 

それまでお菓子屋さんや、やはりその頃登場したスーパーマーケットで買っていたチョコレートを、洋菓子屋さんの店先でケーキと同じように一粒一粒選んで買うということは、何かとっても素敵なことのように思えて、祖母によくおねだりした(ねだるべき人を心得ていた)。

 

中学生の頃、義理チョコという慣習が登場した💝

 

この頃人気があったのは、様々な形をしたハードチョコ。

ハート型のチョコをはじめとして、薬や家電の形、動物の形など、遊び心いっぱいのものが登場した。

お値段は、義理200〜300円、本命でも1000円を超えるものはレアだった…と思う。

 

就職してからは、義理チョコ買いに命をかけた😅

当時広まった「ホワイトデー」の倍返しのしきたりのおかげで、種を蒔いておけば1か月後は “スイーツ長者” になった🍪

 

1987年頃から円高にあやかって海外の高級チョコレート店が次々、日本での販売を開始した。

日本にもチョコレート専門店が現れ、ショコラティエが誕生し、美味しいチョコを求めて女子は彷徨った。

 

かくて二十余年前、生チョコブームが起こる。

父も、こっこちゃんから黒目川チョコをもらって、幸せそうに食べていたっけ🍫

 

デパートでは未だ、現在のような大規模な催し物はなかった(と思う)が、入口付近などに特設会場ができて、試食品を惜しみなくくれた。手の上にのっけられた生チョコはすぐに食べなければならず、次から次へとのっけられて気持ち悪くなった(手を出さなきゃいいんだけどね)🥴

 

やがて大規模な特設会場が設けられ、珍しいチョコレートが海外から競って取り寄せられるようになった。

デパートはオシャレな広告冊子を発行し、チョコはオンラインでも入手できるようになった。

コロナ以降は、試食品は個別包装されている。

 

((ちなみに今まで一番嬉しかったのは、「処分品」として貰った、英国P社製のミントチョコのアソート。当時、日本ではミントチョコが広まっておらず、輸入ミスとして処分されたらしい。が、私は以来すっかりP社のチョコのファンになってしまった🧡

 

父の通院に付き添っていたとき、父が処置を受けている間にデパートの催事場に行ったことがあった😛

その年はバラで買えて、その場で食べられるシステムがあった。束の間のほっとした思い出☕︎

デパートでは毎年、デラックスなカタログを発行するのです。

チョコ屋さんも、毎年同じチョコを売っていては飽きられる。毎年、隠れテーマみたいなものが存在する。

生チョコを皮切りに、オレンジピールのコーティングだったり、日本酒入りや抹茶味、シャンパントリュフ、ルビーチョコ、ミントチョコ…、塩味が流行った年は塩チョコ、マカロンが流行ればチョコロン🍩

 

昨今では、お値段はざっくり2000円〜5000円台。1万円も珍しくない💴

これで恋が実らなかったら、「同情するよりお金返せ」ってか?