ご子息がイギリスに短期留学されるというお母様から、所持品などについての相談を受けた。
昭和の旅行ガイドはおろか、辞書にもないワードばかり🙃
(クレカはあったが問題の次元が違っていた。)
私が初めて海外に行ったのは、成田空港ができたばかりの頃だった。
JRも通っておらず、TCATはあったが水天宮前駅もなく、確か東京駅からTCATに行き、そこからリムジンバスに乗った🚌
しかも見送りの人は空港に入ることすらできず、野っ原みたいなところで返された…と思う。
転勤や留学などの集団見送りはTCATで行った🙌
空港のターミナルビルは1つだけだったが、もっと人が少なくて、もっと情緒に溢れていた…と思う。
中森明菜ちゃんのヒット曲で覚えている。
北ウイングと南ウイング❣️
電光掲示板の前で明菜ちゃんは歌った🎵
空港への出入りは厳しかったものの、あとは、”ある意味” 甘々だった✈️
写真のフィルムは専用の袋に入れなければならなかったが、液体を持ち込んでも何も言われなかった(そもそもペットボトルもなかったかも)。
羽田空港が国際空港として生まれ変わり、成田空港も改修・増築された。
アクセス手段も増え🚝、誰もがスムーズに空港に入れるようになった。
が、見送りの人の姿は、あまり見かけなくなった。
デジカメ、携帯電話、スマホ…、様々なアイテムが旅行を便利にしてくれた。
しかしこれらは小手先を便利にしてくれただけで、本質的なものは変わっていない気がする。
携帯電話で24時間連絡はとれるが、時差があれば実際「いつでも」というわけにはいかない。
デジカメの登場でフィルムを持って行ったり現像したりする手間は省けたが、写真のウデが上がるわけではない💧
クレカは便利だけど、トラベラーズチェックの方が安心だったりする🪪
そして、いくら便利になっても、誰もが旅行をするようになっても、我が子を見送る親心は永遠に変わらない。
冒頭のお母様とメールのやり取りをしていて、思い出したことがあった。
ウン十年前、父がネパール旅行をしたときのこと🇳🇵
父50代後半。すでに海外には何度も行っており、ネパールにはツアーで行った。ヒマラヤは、写真を撮るだけで、登るわけではない。
…にもかかわらず、父の母(祖母)の心配のしようったらなかった😄
日程表のコピーを割烹着のポケットに大切に入れ、「今日は〇〇ってとこに行く」「今頃は△△」と呟いていた。
何かあったら駆けつけようと考えていた…わけではなかろう。
祖母は、何が心配なのか自分でも分からないながら心配をしていたのだろうと思う。
親が心配を隠しながら快く送り出すのは、子供の笑顔が見たいから、そして未知の土地を訪れる子供をたくましく、かつ誇らしく思うからに違いない。
グローバル化は、母の愛によって支えられている🧡