母が病気になってから、父は医学セミナーや講演会などもよく聞きに行った。
それはやがて父のライフワークとなった。
ときに「行けなくなったから、代わりに行ってくれ」と振られることもあった。
「え〜😒」と思ったが、行ってみるとなかなか有意義だった。
ときに患者やヘルスケア・ワーカー向けのセミナーであったり、ときに一般人向けの最新医療講演だったり(ノーベル賞受賞直後の山中教授もお出ましした)。
どれも分かりやすく、同じ内容を本で読むより理解でき、何か一つは記憶に残るものだった。
たった一度だけ、父に誘われて二人で行ったことがあった。
某超有名私立医大主催の「医学サロン」だった。
銀座のド真ん中にサロンを借り切って、(確か)2ヶ月に一度くらいのペースで一般人を対象に、呼吸器、婦人科…など毎回診療科を変えて、現役の医師が最新のトピックについてレクチャーするものだった。
その日のテーマは当時熱かった「脳」で、聴衆には小学生〜中学生くらいの若者もいた🧠
内容は殆ど忘れてしまったが、一つだけ覚えている:
人間の記憶容量は〇〇バイトで(個人差はさほどなく)、それを超えると破綻する…という🤪
どうやって測ったのだろう?文字化できない映像記憶や匂いの記憶などは測れるはずないじゃない!?脳が破綻するってどういうこと?
数々のクエスチョンマークが浮かんだが、無駄に記憶を使うのはやめようとは思い、この話自体、忘却の彼方に…。
しかし最近、テレビで同じことを言っているのを聞いた。
人間の記憶容量は〇〇テラ・バイトだという🧠
すいません、〇〇の部分は覚えても仕方ないので覚えてません🙇♀️
なるほど。。。
確かに底なしのメモリーなどないのかもしれない🤔
誰でも幼少時のことをよく覚えているのはメモリーがまだスカスカだからで、年を重ねるごとに記憶が脱落するのは、脳が自動的にメモリー残量を計算して、不要と思われることをソート・アウトしているのかもしれない。
「記憶力コンテスト」のチャンピオンだって、翌日まで記憶しているわけではない。短期記憶の要領が良いだけの話だ。
かつては人間の脳細胞は1日に〇個死滅すると言われ、それに抗うために若いうちに脳を鍛えておくことが提唱されたが、実際にはそんなに死滅していないそうである😳
そもそも脳の大切なお仕事は、情報を「適切に処理」し、「判断」して、何らかのアウトプットやアイデアを作り出すこと…ですよね⁉︎
「記憶」は「判断」のためのリファレンスにすぎないのではないかと思う。
なので脳のメモリーがいっぱいになったとしても悲観することはないのです😄
いずれにせよメモリーは常に整理して、必要ないことはさっさと忘れましょう。
クラウド上の画像や動画も、警告が来る前に整理しておきましょう💻
楽しかった思い出とお世話になった人…
それだけは、ゴミ箱🗑️に入れないで。