友人は、幼稚園が楽しくなかった…と思っていたのだが、お母様に「あら、楽しそうに通っていたわよ」と言われたという😄
人間は…と言うより生物は、嬉し/楽しかったことより悲惨/不快に感じた出来事のほうをより覚えているらしい。
生存のためだそうだ。
不快に感じた出来事を記憶することで、次はそれを回避する。
楽観的な個体より心配性の🐭のほうが長生きするというデータもあるらしい📊
記憶は、脳を持っていない生物にもあるという🦠
単細胞生物でも、不快な刺激を与えると、その刺激を受けた方向を覚えていて行かなくなるそうだ。
人間だって、脳は大きくなったが、その基本から外れてはいない。
高校生のとき、台風が来るので学校が早く終わった。
喜び勇んだ私は、友人とサテン(今で言うカフェです)に寄って、スパゲッティ・カルボナーラに舌鼓を打ち、インベーダーゲームに興じてしまった😛
ひととおり満足して、帰路についた。
が、新宿に着いたら小田急線が止まっており、回り道をして地下鉄に乗って帰った。
家に帰ってテレビを見たら、今乗ってきた地下鉄も止まっていた。
ギリギリ、セーフ😮💨
悲惨になる直前の経験だったので細部まで覚えている。
若いときはそのような経験が記憶となって我が身を守ることにつながる。
私だって二度と、荒天の中で油を売るような行為はしない⛈️
しかし年齢とともに記憶は蓄積する。
さらには他人や親兄弟のマイナス経験まで “相続” してしまうと、負の記憶にがんじがらめにされることになる💧
まさに、負の記憶遺産状態❗️
食べ物の好き嫌いも、ネガティブ経験によることが多い。
危ない食べ物や不味い食べ物を二度と口にしないという、防衛反応に結びつくからだ。
父は、嫌いな食べ物が多かった。
かつて父の帰りが遅い日の夕食となると、定番となっているようなおかずも多かった。
が、晩年、私が作ってみると、案外食べた(私が怖かっただけ?)🤨
ナス味噌はずうっと嫌いだったはずだったのに、作ってみたら「美味い」と言って食べていた(笑)
ニンニク醤油など絶対かけないだろうと思って、黙って私だけかけていたら、「オレのにもかけてくれ」と言って美味しそうに食べていた(笑笑)
🍒も、昔は食べなかったくせに、私が美味しそうに食べていたら競うように食べ出した(笑笑笑)
昔と、素材の味が変わっていることもある。
自分の感覚器の感度が変わっていることもある。
システムが変わっていることもある。
不快に思ったことが、実は何でもなかったこともある。
短い人生、損することのないよう、今一度、負の記憶遺産の「整理」を😏