Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

コロナで寝不足

保健所に勤めていたとき、国の関係機関の職員が研修に来たことがあった。

 

ちょうど各種培地が揃っていたので、歓迎の意味を込めて腸内細菌検査(検便)をしてあげたところ、カンピロバクターという菌が見つかった。下痢などの症状はなく、健康保菌者だった。

カンピロバクターには、我々もなかなかお目にかかれない。検査室は大いに沸き立った。

が、ご本人は大層ショックなご様子だった。

 

病原微生物で “飯を食っている” 私たちにとって、「感染」は不可抗力の出来事だ。カレの場合は症状もないので、感染したとも言えない。病原菌というものは常に我々の周りに存在し、我々の体内に入り込むチャンスを待ち構えている。

 

が、関係省庁といえどペーパーワークを日常としている人にとって、自分の体内から食中毒菌が検出されるのは “あってはならないこと” だったらしい。

今思うと、我々は「感覚の違い」を学び、カレは「感染は誰にでも起こり得る」という貴重な経験をしたのだった。

 

新しい感染症が現れたとき、それに対する反応は様々だ。

警戒の度合いも、0(全くしない)か1(すごく警戒する)かではなく、0.25とか0.8だったり0.1005くらいだったり、いろいろな度合いが存在する。

…ということで、流行前には存在しなかった、リスク感覚のバリアが地球上のあちこちに生じている。

 

このバリアを作り出しているのは、先の例のような個人的なバックグラウンドだけではなく、コロナ後の環境によっても作られるようでもある。

 

私が登録しているダンススタジオは、対策がハンパではない。

自粛期間も、オンラインレッスンを展開するかたわらで再開時の準備を着々と進めていた。

自粛明けには一斉メールが届き、予約システムに登録を義務付けられた。私もすっかりデジタル化させられた。

 

スタジオに入ると、密を避けるためのあらゆる工夫が凝らされていて、マスクは “死んでも外すな” という趣旨のポスターが貼られ、地震があったら怖いくらい扇風機が壁に取り付けられていた。

レッスンの前後には換気&お掃除タイム。トイレに座ると、使用後は蓋を閉めて流せ…と、ドアに貼られたポスターに警告される。

 

全てが理にかなった対策であり、世間の状況に鑑みてアップデートされる。体温計も、今まで3回もモデルチェンジした。”最新の知見に基づいた” 消毒液が随所に置かれている。

 

医療機関とも連携しており、おそらくインストラクターやスタッフに症状が出たときやクラスターが発生したときは、措置が取れるようになっているのだろう。

 

欧米諸国だったら嫌われそうなほどの徹底ぶり。

が、日本人には安心感の象徴のようで、最近は予約を取るのが大変。12時過ぎても寝られない🥱

デジタル化を乗り切った高齢者にも夜更かしは試練なのか、最近、名物じいちゃんの姿が見えない(密かに心配してます)。

 

さておき、このようなスタジオに毎日のように通っていたら、ズボラな人でも潔癖になってしまうに違いない。

 

しかしスタジオがこのように徹底しているのは、狭い場所に多くの会員が集うからで、これをスタンダードにする必要はない。

 

実際、”普通の” 生活では、マスクさえ “皆が” “きちんと” していれば大丈夫なんじゃないか…と思ったりもする。

皆がマスクをすることでウイルスの飛散はある程度防げるから、床その他に付着するウイルスは以前より減っているはず。電車の吊り革で感染するなど、ジャンボ宝くじを当てるより確率が低いかもしれない。

それでも接触歴等不明者が連日半数以上いるようなので、対策はやはり必要。宝くじも、ずうっと買っていればいつかは当たってしまうし、初めて買った1枚が大当たり🎊することもある。

 

『私の意見では』、不特定多数の人が出入りする場所では責任者が(先述のスタジオのように徹底して)対策を取ればよく、一般の人たちはそれに従えばよい。自分のリスク感覚を他人にも適用しようとするのはNG…だと思う。

 

半年前とは違って、今は検査もすぐに受けられるし、感染症の病態や治療法も確立されつつある。”過度に” 恐れて、せっかく築いた人間関係をそこなってしまいませんよう😉

過対策と思えるような人にもその人なりの事情や考え方があると思うので、尊重してあげましょう。

 

ちなみに、マスクをせずに歩いている人がいたら、宇宙旅行帰りで地球上で起こっていることがまだ把握できていないのだ…と、私は思うことにしている。

 

感染しないに越したことはない。が、感染したとしても “罪” でも “恥” でもないし、今は(持病がなければ)すぐにどうにかなっちゃうものでもないのです。

 

そうは言っても、某国の大統領の場合は恥を知るべきだと思う。

日本だったら支持率ゼロになってもおかしくない状態。それでも支持者がいるというのこそ、感覚の違いというものなのでしょうか。