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「ラスト・ソング」のその後

感染戯画

いわゆるラッシュアワー通勤をしていた頃:

 

ぎゅうぎゅう詰めの電車がプラットフォームに入って来る。

乗ろうとすると、ぽっかり「あき」があるのが、窓ごしに見えた。

ドアが開く。その席に向かって突進!

が、腰掛けようとして、または腰掛けてみて納得。

そこは「ワケアリ」の席だったのだ。

 

「ワケアリ」とは、臭いだったり、汚れていたり、サリン事件の直後は単なるレジ袋があるだけだったりした。

 

大阪の感染者が1000人を超え、東京も危ないと囁かれ始めた頃、久しぶりにこんな場面に出くわした。

 

夕方のラッシュには早い時間だったが、時差通勤の人たちや学校帰りの人たちで席が埋まる時間。始発駅で席を確保してホッとしていると、ガラクタをいっぱい抱えこんだオッサンが乗り込んできた。

 

マスクをしていないオッサンは、同じ車両の、私の場所からワンブロックほど離れた辺りに腰掛けた。

その瞬間、その両隣の女性たちがサッと立ち上がり、場を離れるのが見えた。

 

その後も、「😀」「❣️」と、席に突進した人たちが、😱の表情で引き返して来た。

次の駅で降りて車両を変える人たちもいた。

私の席からは身を乗り出さないと見えなかったが、声や臭いを発している様子はなかった。

 

私の降りる駅に到着し、降りぎわにチラと見てみると、オッサンの周り、おそらく半径2メートルあたりは閑散としていた。

ちらほら座っている人もいたが、窓は最大に解放されていた(あんなに開くんだ!)

オッサンはのんびり座っていた。どこまで行ったんだろう?

スペアのマスク、差し上げるべきだっただろうか。

 

路上生活者の健康診断というものをやったことがある。

結核が問題になっていた頃だ。

結核患者は路上に痰を吐く。抵抗力の弱った路上生活者たちはそれから感染し、さらに彼らの痰が次の感染を起こす…のを防ぐためだ。(私の記憶では、結核患者は結局見つからず、糖尿病や高血圧、タバコやお酒の摂りすぎが多かった。)

 

そういう経験もあったので、パンデミック当初、私は路上生活者の健康が気がかりだった。新宿などでは、彼らとそうでない人たちの距離は近い。

が、1年経って、杞憂だったことが分かった。

感染が起こっていないとは言い切れないが、発症すれば分かるだろうし、問題になるはずだ。

 

彼らはおそらく手指消毒などしないだろうし、たまにマスクを持っている人はいるが、たいていしていない。

どのような生活をしているかは千差万別だろうけれど、おそらくうつるような生活はしていないと思われる。

 

なので、混み混みの電車で通勤し、同僚とランチをし(飲み会までし)、マスクをしていても電車の中で会話をしているサラリーマンや学生の方がずっと「💀」

 

ちなみに東京在住の人とマスクなしで呑み明かしたとしても、その人が感染していなければ絶対にうつることはない。さらに統計学的に平たく言うと、今、目前にいる人がウイルスを持っている確率は1%未満のはずだ(第一波後の抗体保有率から推定して)。

よってオッサンからウイルスを移される確率は、たまたま拾った一枚の宝くじが高額当選するのと同じくらいではないだろうか。

 

感染が収束したら滑稽にすぎない出来事でも、今の私たちには一大事だったりする。

絵心があったら絵巻物にしたいような出来事が、おそらく日本の、世界のあちこちで起きているのだろう。

 

願わくば、これが笑い話になる日が早くきますよう。