Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

眼の話(その2)

手術は上首尾にいった・・と言われたが、右目に出血の跡のようなものがあった。でもやがて消えるという。数日後、父は退院した。80歳だけど、まだまだ元気。同じ病室のジイさん達より若く、元気に見えるのが自慢だった。父にとっても、私にとっても。

 

右眼の眼圧が上昇していると言われたのは、退院後の診察のときだっただろうか。

この頃はまだ、父の身体の状態にあまり関与していなかったので私も定かではないが、眼圧を下げる目薬をさし始めた。眼圧の上昇自体には自覚症状がない。が、目薬をさした後に不快感があるようで、何度か目薬を変えてもらっていた。それでも目薬で下げられないほど眼圧が上がり、点滴を受けて帰ってきたこともある。眼圧の上昇は視神経を損傷するので、放置すると失明につながる。この頃、父は、起きていられないと言って臥せることが多くなった。眼圧そのものではなく目薬の副作用らしいが、眼科医にそのことを訴えても、「この目薬にはそんな副作用はない」と言われてしまう(薬は一応変えてもらえたらしい)。

 

このままでは埒が明かないと感じた父は、「セカンドオピニオンをもらう」という方向で、他の医師を自分で探し、受診することになった。私も父に請われて付き添った。

 

緑内障(眼圧の上昇=緑内障)では有名なその医師は、父の眼を観察し、眼圧を下げるための手術と眼内レンズのズレを直す手術を五輪病院の担当医に提案してくれた。やはり右眼の出血は手術が成功とは言えなかったことを意味していた。その医師はもう一つ、父が若い頃、目に衝撃を受けたことを指摘した。父も忘れていたようだが、青年期、父は軍人に殴られて数日目が見えなかったことがあったらしい。そのことと今回の眼圧上昇の関係については何も言われなかったが、五輪病院の医師はスルーしていたことだった。