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「ラスト・ソング」のその後

眼の話(その3)

異常と言えるほど上昇した父の眼圧は目薬で十分に下げることができず、あたふたしているうちに時間ばかりが過ぎ、五輪病院で眼圧を下げるための手術を受けた頃には、右眼は光をやっと感じる程度まで視力を失ってしまっていた。

眼圧を下げる手術をしても、目薬が全く不要になったわけではなかった。最期の日を迎えるまで、眼圧をコントロールする日は続くことになる。

 

手術の成功した左眼はクリアに見える。それと右眼の視力のギャップが大きいせいか、または何か他のメカニズムが働いてか、右眼の不快感もずっと続いた。何が原因か、どういう不快感か、本人にも分からなければ、他人の私には尚更わかりようがない。右眼をアイマスクで覆うといいようだと言われては、アイマスクを探し、温めるといいようだと言われては、温めグッズを色々試した。メガネの右だけ付箋紙で覆ったこともあった。いろいろなことを試した覚えがあるが、具体的に何をしたかは忘れてしまった。

 

「不快感」のため、御茶ノ水にある大きな眼科病院にもかかってみたが、検査数値として現れてこないため病名はつけられず、落胆して帰ってきただけだった。

 

夏になり、眼の不快感と相まって、イライラ感が強まり、近所の医師にかかったことがあった。父としては藁をも掴む気分だったのだろう。だけどその医師に摑まされたのは、藁ならまだしも、向精神薬だった。