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「ラスト・ソング」のその後

眼の話(その4)

薬の名前から成分を調べた私は、あまりその薬を服用することに賛成できなかった。最初のうちは私が薬袋を引き取り、薬を半分にし、ときにビオフェルミンを半分にしたものを混ぜて父に渡していたが、どうやらバレてしまったようで、父に薬を全部渡すことになった。一時的だったらいいのだが、その医師に、薬をやめさせようという気持ちはないように見え、父は長きにわたり、その薬をもらうために医者通いをすることになった。

 

その薬を常用することの怖さを、私はネットで調べてプリントアウトして渡したり、向精神薬について書かれた一般書を買ってきて渡したり(父は本の言うことはよく聞く)したが、当時の父には「馬の耳に念仏」だった。

 

父がようやく、その薬の怖さ、そして自分が半ば中毒になりかけていることに気がついたのは、だいぶ後になってから、新聞の記事を読んだ時のようだった。父はその新聞記事を切り抜いて、薬を処方してくれる医師に見せたのだったが、その時の医師の態度は非常に尊大で不快だったらしい。でも、だからと言って、すぐに薬を断つことはできなくなっていた。仕方なく、医師に薬を処方してもらい、家で私が分割し、自己流だったけれど徐々に減らしていくことにした。

 

様子を見ながら徐々に減らしていくのは時間がかかり、父が完全に薬のことを忘れることができたのは、亡くなる1、2年前ではなかっただろうか。血液の病気を発症し、薬を絶った喜びを感じた時間はなかった。