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「ラスト・ソング」のその後

雑誌は倉庫

現代人の脳みそは、スマホで形作られている。

私の脳みそは、雑誌とテレビで形成されたと言ってもよい。

 

雑誌は、昭和人にとってのスマホだった📱

雑誌のページを捲らずして私の一日が終わることはなかった。

 

旅行に行くときはKiosk (これも懐かし☺️)で買って、車内や宿で回し読みした。

通勤ラッシュ、ビシッとスーツを着こなしたサラリーマンがアタッシュケースから漫画雑誌を取り出して読んでいるのはフツーの光景だった。

雑誌の充実した歯医者や美容院は、ウデがイマイチでも人気があった。

 

ここかしこに読み終わった漫画本が転がっていた。電車の網棚に置き去りにされた雑誌を集めて、路上で(格安で)売っている人もいた。

休憩室に女性誌が山積みになっていたのは、私の職場だけではなかっただろうと思う。

海外生活をしている👩から「来るときは『ビッグコミック』持ってきて❗️」と言われたこともあった。

 

平成初期まで、雑誌の種類は急増した。

男性ファッション誌が誕生し、タウン情報誌や漫画、ビジネス、ライフスタイル、旅行にクルマ、健康雑誌、お稽古ごと情報誌。結婚準備雑誌は今でも健在。

 

📚Magazine(雑誌)の語源はフランス語のmagasin「倉庫、軍需品貯蔵所」だそうだ。

倉庫同様、さまざまな記事や知識が詰まっているからとネットに出ていた。

 

昭和〜平成期の雑誌は文字通り、倉庫だった。

「水着特集」目当てで買って、旅行特集で行きたい土地を見つけたり、新しい生き方に憧れたり、雑誌を読むと「探していなかったけど新しい」発見が必ずあって、それが楽しかった。

中古品処分のノウハウも雑誌から教わった。

 

今や雑誌を読んでいる人はあまりいない💧

それでも本屋の雑誌コーナーには、ある分野に特化した雑誌が山積みされている。

もはや雑誌というより豪華本。お値段も豪華。

 

かつて月末の通勤電車には、女性誌の中吊り広告の花が咲いた。

an-an」の中吊りは、ときに刺激的すぎてオジサンたちまで釘付けにしていたっけ😳

あの頃、満員電車の中で人々の視線は上を向いていた。

 

パソコンとスマホの普及で、情報収集の手段も、隙間時間も「光る画面」に吸い込まれていった。

 

今や電車の中で上を見ているのは私くらい🙄

皆、首を90度に折り曲げて小さな画面を睨んでいる。