中学校の英語の授業で「アメリカのドラッグストアは日本の薬屋と違って、日用雑貨やアイスクリームまで売っている」と聞き、😍…と思った。
かつて日本の薬屋は殆どが個人薬局で、医薬品と、絆創膏・消毒薬などのほんの少しの医薬部外品だけが扱われていた(洗剤や歯磨きなどは違う店で売られていた記憶がある)。
さらに(私の記憶では)半径何メートル以内に一軒…と決められていた。
大学生のとき、学内の掲示板にアルバイトの求人がよく出ていた。病院の短期バイトとか、薬局とか…。
そこで個人経営の薬屋の求人を見つけて面接に行った。
六本木交差点からすぐの場所にあったその店は、卒業生夫婦が経営していて、処方薬・一般薬のほか、健康食品、洗剤などの日用品、絆創膏などの医薬部外品、化粧品💄、ボールペンやメモパッドなどの文具、雑誌、競馬新聞、ガムやのど飴、ビニール傘🌂、ストッキングや下着(六本木という土地柄🩲👕)など…、私が思い描いていたドラッグストアそのものだった。
コピー機もあったし、写真の現像の窓口でもあった。
アイスもあったし、自販機では缶入りのシジミ汁やお汁粉も扱っていた🍦
タバコもあった。今考えると、薬屋にタバコって、ものすごく矛盾してるんですけど🙃
当時、女子大生の間で流行っていた外国製のシャンプーやマニキュアなども置いてあって、アルバイトはこれらが1割引で買えた💛
昼間は奥さんとバイト2〜3名。バイトは6時頃には上がり、夕方になると正社員の薬剤師が出勤して来る。ダンナさまも昼間の仕事(大学職員だった)を終えて加わり、深夜まで営業している様子だった。
その頃、一般商店が深夜まで営業しているのは極めて珍しく(コンビニも文字通り、夜11時までだった)、「深夜営業している薬屋さん」として雑誌などで数回、取り上げられたようでもあった。
六本木の、いわゆる裏通り。スナック、飲食店が立ち並ぶ一方で、一歩入ると住宅もあり、昼間は近所のおばちゃんが日用品を求め、夕方になると寿司屋のあんちゃんが競馬新聞や栄養ドリンクを買いにくる、フツーの薬屋でもあった。
翌日出勤すると、昼間には見向きもされなかった商品が大量に減っていたりして、六本木の夜の顔を垣間見ることができた。
栄養ドリンクも、昼と夜では「売れ筋」の定価が全く異なっていた(昼は安めのもの、夜は高〜いのが売れる)。
楽しかったが、風邪をしょっちゅうひいたし、手もガサガサになった。自前の白衣も、商品のホコリですぐに「灰衣」になった💧
昭和末期、ドラッグストア・チェーンの台頭が始まった。
マツキヨは高校生のときに「何屋だか知らないけど、フルネームの人名を店名にしてる」のがウケまくったことがあったが、この頃、初めてドラッグストアだったことを知った。
何メートル以内に一軒…の規制が外れたのか、一つの商店街に個人・チェーン様々なドラッグストアが現れ、やがて個人経営の薬局をどんどん飲み込み、ものすごい速さで増殖した。
扱われる商品も増え、今や食品やサプリメントに医薬品が埋もれている状態。
都市部では外国人観光客が土産物を求めて、青汁やら正露丸やら、日本人が忘れていたようなものを爆買いして行く。
コロナ以降は、解熱薬に始まり、特定銘柄の胃薬やら龍角散やら、びっくりするものが突発的に品切れてしまうようだ。
ドラッグストアとコンビニと、扱われる品目数はどちらが多いのだろうと、ドラッグストアに入る度に思う🤔
日本を訪れる外国人たちは、かつて私がアメリカのドラッグストアに😻と思ったように、日本のドラッグストアの話を聞き、夢見てやってくるのかもしれない。
《追加:Wikipediaによると、ドラッグストア・チェーンがあるのは🇺🇸と🇯🇵の他、🇩🇪、🇬🇧、🇹🇼、🇭🇰らしい。昔の日本にあった薬屋はapothecary (または、この語の各国語版)で、医薬部外品や化粧品とは別に扱われているようです。
諸外国の薬屋事情をご存知の方、情報提供お願いします🙇♂️》