高度成長期の3Cと言えば、カー🚗、カラーテレビ📺、そしてクーラー🐻❄️…だった。
物心ついたときには既にテレビも冷蔵庫も洗濯機もあった私。
クーラーがやってきた日のことは、鮮明に覚えている。
まだ幼稚園児だった私には、魔法の機械だった🧙
大きなモーター音を響かせながら、部屋はすぅーっと涼しくなった。
そして、しばらくして部屋から出た途端、もわ〜🥴と何とも言えない不快感を感じた。
「この機械はヤバい(ボキャは未だなかったが)」子供心にそう思った。
母もよく「体に毒」と言った。
昭和のクーラーは温度調節などできず、強弱のつまみしかなかった🥶
カーやカラーテレビが必需品と呼ばれるようになっても、クーラーは依然、贅沢品だった。
商業施設でもクーラーのない場所はあったし、学校でもクーラーがあったのは職員室と図書室(と校長室…多分)くらいだった💦
公共の乗り物も窓が開けられるため、なかなか装備されなかった。
山手線は当初、一番前と一番後ろの車両だけクーラーが入り、「運転手さんと車掌さんが涼むためなんですね」という「地下鉄漫才(by春日三球・照代)」が笑いを博した。
クーラーはエアコンとなり、あちこちで導入されるようになってくると、今度は「冷房病」が蔓延し、平成のテレビやラジオでは「冷房病対策」が毎年取り沙汰された(現在は広く「寒暖差ショック」と言うらしい)。
それでもまだ「熱中症」は問題視されていなかったので、エアコンを「必要悪」と考える人たちは多かった。
子供や老人にとってエアコンは有害と考える人もいたし、就寝時はスイッチを切りましょう…とも言われた。
私の知人には、エアコンがありながら「つけないこと」をステイタスのように思っていた人もいて、私が遊びに行くと「あなたのために入れてあげる」と言われた。
軟弱者で、ゴメンナサイ😅
しかし今、そんなことを言っていると後ろ指をさされる。
今やエアコンは贅沢品はおろか、必需品の枠を超え、命綱でさえある🪢
かつて3Cに胸を高鳴らせた人たちも、今や「高齢者」。
カーを使うと言っては非難を浴び、クーラーを使わないと言っては非難を浴びる。
カーもクーラーもカラーテレビも “必要のない” 世の中になったなら、私たちはどんなに心安らかに暮らすことができるだろう。