Last Song Latest

「ラスト・ソング」のその後

「遺物」との対話

お盆。

 

「霊」の存在の有無はともかく、それがこの時期にこぞって帰省するなどとは信じていないが、もし本当に帰ってくるとしたら、父はどんな表情を見せるだろう?

 

街中のマスク星人の群れにギョ😳

買い物する度に袋代を取られてムッ😟

ウクライナ侵攻のニュースに釘付け🤨

桂歌丸志村けんと安倍元首相がテレビに出ないのに落胆し😞

電動キックボード🛴に乗りたいけどスマホがなくて借りられず😥

 

笑える😸

 

この6年、世の中は大きく変わった。

 

さらに家の中に目を向けると、自分のモノが大量になくなっているのに気がつくだろう😨

 

烈火の如く😡だろうか?

いや、気がつかないふりをして、買い物に走るだろう。

そして言う。「捨てられちゃったからまた買ってきた」と。

1週間で元通りの百均屋敷😥

 

やっぱ想像しなきゃよかった😿

 

我が家の下に巨大な体重計を設置したら、この6年でおそらく1トンは減っているのではないかと思う。

それでもまだ「遺物」は出てくる、湧いてくる🥴

母のアルバムは保存状態が良すぎて困っちゃう💧

この暑いのに、大量のアルバム

母のまで、でてきた。ふぅ〜😮‍💨

お迎え火・送り火と一緒に燃やしたろかって思っちゃう(消防車が来ますね)🚒

 

この6年、実にいろいろなモノが「発掘」された。

子孫に読まれる前に処分するべきじゃないかと思うものもあったが、そういうものほど処分できないのだろう。

皆さん、そういうものがあったら早めに処分しましょう。

(データベース化して死後破壊、または骨壺に入れてもらうといいですね😉

 

故人に対する記憶が日々薄れゆく中、遺物と対峙することによって、娘または孫としてではない別の視点で、つまり第三者としてご先祖様たちを見るようになった自分に気づいたりする。

 

私の知らなかった両親の話を聞いて腰を抜かしそうになったことも、一度や二度ではない。

時代背景に重ね合わせてその時々の両親を想像すると、そこに浮かび上がるのは、弱く、ときに今の私より未熟な一人の人間だった。

 

今思うのは、そういうことを早く知っていれば、生きているうちにもっと対話をしていれば、違う付き合い方ができたのではないかということ。

介護ももっと充実したものになったかもしれない。

 

でも、そういう想像は、本人が生きている間はできないもの。

「実像」がなくなったからこそ、できるものなのかもしれない。

 

第一、子孫にそんな理解を示されたりしたら、ご先祖様もドン引き。

お盆に帰るの、やめちゃうかもしれない😇

お盆に帰って来たら、お土産に持たせてあげたい、父のアルバム。

何も知らなかったフリして、にっこりお迎えしてあげよう☺️