今生きている人たちは誰もが、「近い将来、関東大震災が来る」と言われて育った。
私は今でも、初めて震度4の地震に襲われた日のことを覚えている。
たしか夕方…だった。
木造平屋の我が家はユッサユッサと大きく揺れ、ガラス窓がガタガタ震え、心臓がバクバクいうほど怖かった。
母も、関東大震災経験者の祖母でさえ、「今のは大きかった」と言っていたのを覚えているので、本当に揺れたのだと思う。
でも、まだ当時は震度4の地震は数年に一度程度だった。
阪神淡路大震災のとき、大震災とはどういうものかを知った。
それまでにも日本のあちこちで大地震の報道はあったが、都市部の大災害を(テレビではあるが)目の当たりにするのは初めてだった。
それでもまだ、当時はスマホや(おそらく)ケータイもなかったため、個人から発信された画像などは少なかった。大震災の数年後、たまたま同じツアーだった人に阪神淡路の経験者がいて、テレビが飛んできた話などを聞かされて、改めて怖さを実感した。
そして3・11以降、地震の頻度は桁違いに増えた。
震度4など日常茶飯事。震度6の地震も日本のあちこちで頻発するようになった。
首都直下型地震や南海トラフ地震、富士山の噴火…、いつ起こってもおかしくないと言われている🗻
慣れたせい…というより建物の耐震/免震化が進んだせいだろう、震度4の地震はかつての震度2〜3程度にしか感じなくなった😏
ニュースで「震度5」と聞いても、”前ほど” 驚かなくなった。
が、誰も敢えて口には出さないが「マイ対策」はあるらしい。
3年以上前だけど、常にペットボトルの水を必要本数+1本持ち歩いていると言う人がいた。ご苦労様🙇
ちなみに私は、キーホルダーにホイッスルをつけている;エレベーターには「極力」乗らない;乗る場合はトイレを済ませてから;常に長距離歩ける靴を履いて出かける…。
ペットボトルは揺れてから買えばいい。そのために常に現金を持ち歩く(停電も考えられるのでキャッシュで)。
持続可能性が私のモットー☝️
湯河原育ちの、私の美容師さんは瞬時に縦揺れ/横揺れを判断し、縦揺れの場合のみ部屋のドアを開けるそうだ。
阪神淡路大震災の後、「地震のない国に引っ越したい」と思った。
母が亡くなった後、母の育児日記を見たら、私が赤ん坊のときにもどこかで大地震があったようで、そのときの母も「地震のない国に住みたい」と書いており、思わず笑ってしまった。
海外旅行をして現地の人と話す機会があると、私は必ず聞く。
「この国に地震はありますか?」
先日訪れたエストニアにて、エストニア人のガイドさんに同じ質問をした。
「天災は、ないです」の言葉に😍と思ったのも束の間。
「でも人災はしょっちゅう」と言われ、言葉を失った😥
ロシアの隣国。長い歴史の中で常に侵攻される危険と隣り合わせ。
ウクライナ侵攻のニュースは、明日は我が身…だろう。
爆撃よりは天災の方がいいのだろうか?
どっちの心配も無い…という場所は地球上にはないのだろうか。