父も、祖母も、うずら豆の煮物が好きだった。
母や祖母は煮ていたが、私は作らなかった。
すると父は時折、市販品を買ってきて「煮直してくれ」と言った。
市販品に水と塩を加え、我が家風の味付けにして、(さらに父は少し潰して)食べていた。
先日デパ地下で見かけたので、久しぶりに買ってみた。
売っているままの味付けはやはり甘すぎるくらいで、おかずというより3時のおやつといった感じだった。
豆を甘く煮たものは、箸休めとして出されるが、調理に手間がかかる。
子供の頃、お弁当に入っているのに軽い違和感を感じたが、市販のお弁当などではデザート的役割を果たしてくれる。
以前に書いた「日本橋の老舗弁当」🍱も、魚や野菜もさることながら、白インゲンの煮物が絶品だった。
ホンモノの店は、箸休めや漬物にも気を抜かない。
父が70代半ばのとき、小学校の同窓会があった。
そのとき、ふと思い出したように話してくれた。
昭和初期の小学校は給食ではなく、お弁当を持って行っていた。
と言っても、今のように色とりどりのお弁当とは程遠く、梅干しだけの「日の丸弁当」や「のり弁」がほとんどだったそうだ。
そんな中、ある生徒が持ってきたお弁当を見て、父はものすごく驚いたそうだ😲
そのお弁当には、ご飯と、うずら豆の煮物だけが入っていたという😳
それも、おかず入れにびっしり🫘
いくらうずら豆が好きな父でも、ギョッとしたらしい(おかげで60年以上経っても覚えていた)。
最近、「コロッケとご飯だけ」「ウインナーとご飯だけ」のような「だけ弁当」が流行っているが、その先駆けたるものだろう。しかも、ご飯が進むようなおかずではない。
父からその話を聞いたときは、親の怠慢ではないかと思ったが、つくづく考えてみると、当時としてはデラックスなお弁当だったのかもしれない。
のり弁や日の丸弁当に比べると、豆の栄養価は格段に高い🫘
手間もかかる。
何より当時、砂糖は今より高級品だった。
おそらく、そのお弁当を作った “おっかさん” の親心は、今のキャラ弁を作る母親のそれと同じだったのだろう。
あるいは、おっかさん自身が、うずら豆をたらふく食べたかったのかも。
その「だけ弁当」が1日限りだったのか、繰り返されたのかは今となっては神のみぞ知る…ところだ。
そして、当人がどういう気持ちで食べたかも🤔
蛇足:うずら豆がカレー味とかチリ味だったら、現代でもアリですね😜