コロナウイルスのおかげ(?)で、今年も雑草取りを心ゆくまですることができた。
おかげで二の腕が少し引き締まった…かもしれない。
土に向かい、休まずに手を動かしていると、コロナ騒ぎなど違う世の中の出来事のように感じられてしまう。
放っておくと、我が家の庭はドクダミ畑となる。
初めてドクダミの匂いを嗅いだときは「😱🤮」だったが、毎年毎年嗅いでいうちに芳香となり、初夏を感じるようにさえなってきた。
ドクダミは「十薬」とも呼ばれ、十にものぼる薬効があるという(大和本草)。
もう四半世紀も前になるだろうか、母の体調がすぐれなかったとき、母のすぐ上の姉(私にとっては伯母)が、ドクダミ茶を作って送ってくれたことがあった。
ドクダミ茶を作るには、花の咲く時期に根を含めた全草を刈り取り、きれいに洗って完全に日干ししなければならない。
泥を落とすだけでも大変な手間がかかりそうだ。梅雨どきに完全に干すのも容易ではない。
ドクダミ茶が薄毛にも効果があることを知って、父に作ってあげようかと(ちらと)思ったが、大変そうなのであっさり諦めた。母の姉は、そうやって作ったドクダミ茶を段ボールにいっぱい作って送ってくれたのだった。きょうだいって、ありがたい。
母が亡くなった後、父と、その伯母の家に行った。
ドクダミだけでなく、いろいろと心配してくれたお礼を言いたかった。
伯母の家は、東京からちょっとした小旅行の距離にあったが、小さな庭のある、気持ちの良い家だった。
庭は手入れが行き届いていて、そこに伯母ご自慢のドクダミがたくさん生えていた。
葉に白い模様が入っていた、「斑入り」ドクダミだった。
ただのドクダミは雑草だけど、伯母はそのドクダミを大切に育てていた。
その後、伯母は大切にしている植物をいくつか、送ってくれた(Thank God!…ドクダミは含まれていなかった)。
今から20年ほど前になるが、そのうち数種は、伯母亡き後も我が家の庭に生きている。
その数年後、イギリスの薬用植物園に行ったとき、ドクダミにネームプレートがつけられて展示されていたことがあった。
育ちにくい土地にあっては、雑草も珍重される。
「雑草という名の草はない」昭和天皇の言葉が思い出された。
…と言っても、やはり私にとってドクダミは憎き、しかし愛すべき雑草に間違いない。