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「ラスト・ソング」のその後

ヘアカット

父も母も、そして祖母も、晩年のヘアカットはすべて私がやった。

 

祖母には頼まれなかったけれど、ボウボウに伸びてしまった髪を見かねて、思い切って私から言い出したのだが、さっぱりしたと喜んでもらえた。ずっと臥せていて外出はできなかったので、スタイルなどどうでもよかった。

 

母も同様だった。祖母で少し慣れていたので、すんなりいった。

祖母も母も髪がフサフサしていた。こんなに具合が悪そうなのに、元気なときと同じように髪が伸びるのに私は不思議だった。

 

父の場合は、歩けるうちから私にヘアカットをねだってきた。懇意にしていた床屋が閉店してしまって、新しい店を開拓するのが億劫になったからのようだった。気持ちはよく分かったが、床屋に行きたくなるよう、思い切り下手くそに切った…というより、私の場合、上手にやろうと思ってもできなかったのだ。

 

鏡では後ろは見えない。触った感じが短くなっていれば満足するようで、あんなに下手くそに切っているというのに、2、3ヶ月経つとカットをねだられた。私の腕も、上達するつもりがないとはいえ、本当に上達せず、母が夢枕に立ったこともある。

「パパの髪の毛、みっともないんですけど」と。

…私に言っても困ります。本人に床屋に行くよう言ってください…と言えばよかった。

 

今でも覚えている父の毛の流れ方は、美容院で言われる私の髪の生え方と一致する(^O^)

 

それにしても、人間はどんな事態になっても髪の毛が伸びるのだなぁ…と思った。

 

祖母も母も父も、身体は老いや病気と必死で戦っていた。髪の毛なんか作っているどころではないはずだ。特に父の場合は重度の貧血だった。髪の毛のタンパク質を作るくらいなら、赤血球に回せないのだろうか。

非常時なのだ。髪の毛なんかなくたって構わないじゃないか!

…と思いませんか?

 

それでも髪は律儀に伸びた。父の場合は眉毛やヒゲまで伸びた。

世の中には元気いっぱいなのに生えない人もいると言うのに、なんて贅沢(無駄?)なことだろう。