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「ラスト・ソング」のその後

マインド・ユア・ヘルス・プリーズ!

友人は私の父が亡くなる1年ほど前にお母様を亡くし、以来、気力の低迷を匂わせる手紙や年賀状が届いていた。

「今年はお花見しませんでした」とか、「何もやる気になれなくて」という便りが届き、快活だった彼女が玉手箱を開けてしまったのかと思わせる文面に心配が募り手紙を出した。

「ご心配なく」という返事が来たのはよかったが、その数行後に「この前、電車の中で気を失い、電車を止めてしまいました」とあり、「次に倒れたら病院に行きます」と書いてあったので、すぐ医者に行ったほうがいいというメールを出した。誰でも、同じような反応をするだろう。

 

メールが戻ってきてしまったので、手紙を書くことにした。

単刀直入に書いてもよかったのだけれど、「北風と太陽」の北風になるといけないと考え、なるべく医者に行きたくなるよう、言葉を選んで手紙を書いた。本人が一番心配なはずだから、心配を和らげつつ「これを読んだら絶対に医者に行きたくなる」手紙を、半日ほどかけて完成させた。

 

しかし数週間後、「ご指導ありがとう…(中略)…健康診断のときにでも相談します」との返事が届いた。

心が折れた。あんなに誠心誠意書いたのに、伝わらなかったか。

そもそも「ご指導」なんて大それた気持ちはこれっぽっちもないのに、そう受け取られてしまったのかと思うと、ショックだった。

 

自分で自分が心配にならないのだろうか?

私だったら、倒れた翌日にでも、万障繰り合わせて医者に行くだろうな。また倒れたら…などと思ったら、外出するのも怖くなる。

 

いや彼女も、心の底を不安が過ったからこそ、あえて書面にしたためたのだろう。まさか電車を止めたことを自慢したかったわけではあるまい。だとしたら、やはり私が至らなかったのかもしれない。

 

父に付き添って通院していたとき、お年寄りの夫婦が寄り添うように待合室に座っている姿をよく見かけた。

あるとき、(おそらく緊急)受診にきた老夫婦に看護師さんが問診している会話が漏れ聞こえてきた。先週、別件で別の病院を受診し、点滴を受けたらしい。看護師さんに「何の薬を点滴したか分かりますか?」と訊かれ、夫婦顔を見合わせて「さあねー」「何だかいっぱい入っていたねぇ」と2人して首をひねる姿はコミカルで微笑ましくさえあった。おそらく輸液の電解質やらバッファーの成分を見ていたのだろう。まあ薬物名は難しいからねぇ…と思い、こういう人たちは却って医者と揉めることもないのだろうな…とも思った。

何も分からず医者の言いなりになったほうが、すんなりと快適な療養生活が得られる可能性は高い。

 

でも、自分の身体の中で起こっていることや身体に入ってくるものを把握するのは、自分の身体を管理するよう任された自分の義務ではないかと思う。

 

薬の名前が分からなければスマホ(携帯)を取り出して撮影しておけばいい。説明が分からなさそうだったら、了解を得てスマホ(携帯)に録音すればいい。得られた情報をインターネットで検索すれば解説が出てくる。すぐに調べなくとも、後で役に立つこともある。

 

私を含めて「おひとりさま」は、年老いてから病院に行くのも、おひとりだ。「おひとりさま」ではなくても、自分の身体は自分で守らなければいけないのだと思う。