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「ラスト・ソング」のその後

マスクばなれ

外国人観光客が来なくなってからかれこれ三年、私は明治神宮に頻繁に足を運んだ🌲

 

都会のオアシス。気持ちが良いのは知っていたが、それまでとにかく混んでいて、行く気にとてもなれなかった。

それがすっきり空いている。

特に最初の自粛要請の時は季節もよく、ゴクラクだった🌳

 

鳥居をくぐる度に私は悩んだ。

神社で拝むとき、マスクは外すべきか? 付けるべきか?🤔

神様もコロナに罹るかといったことではない。エチケットの話。

 

帽子を被っている人は帽子を脱ぐということは、マスクも取るべきか?

いや、皇室の方々も正式な場所でマスクをしているということは、マスクは正装か?

いやいや、神様に何かをお願いするときは住所・氏名・年齢を嘘偽りなく述べなければいけないという。ということは、顔もフルフェイス見せるべきではないか?

 

といった議論が自分の中でぐるぐる回って、3年間、マスクを付けたり外してみたり。

 

ちなみに、お隣の代々木公園ではマスクを外している人も多いが、明治神宮を訪れる方々は割と真面目にマスクをしている。やはり神聖な場所だと心得ているからだと思う。

(ひと気のない明治神宮境内では明らかにマスク不要)

 

いっぽう浮世では、アウトドアならマスク取っていいよというガイドラインが出された。

が、取って歩いている人は案外、少なかったりする。

先日、テレビで調査したところ(主に混雑した戸外)、外している人は1割に満たなかったようだ。

分かる気がする。

 

先日、買い物に行くとき、外そうと思って気がついた。

「メイクしてない」

ということで、暑い中マスクをして歩いた🥵

 

知り合いにも、マスクから露出している場所しかメイクをしないという人もいた。

外出先でメイク直しもしなくなったので、荷物も少なくなった。

女子はマスクで便利をしていたりする。

 

男子の場合は付けたり外したりが面倒というのもあると思う。

〈うるさいことを言わせてもらえば、お口の周りは雑菌が多いので(ブドウ球菌などもいます)、ずらしてするのは非衛生的です。〉

 

それだけではない。日本人にはマスク美人/美男が多い。

昔、歯医者さんがイケメンだと思っていて、マスクを取った顔を見てがっかりしたのは私だけではないと思う。

男性の方々は、美人と思っていた看護師さんのノーマスクを見てがっかりした経験があるのではないだろうか。

マスクを取った顔を見て、「マスクないほうがいい」と思う方が少なかったりする。

 

ということは、自分の顔も、フルフェイスを晒した瞬間にがっかりされると思っても、不思議はない。

特に顔に自信がない人にとっては、マスクをすることで自分の顔にモザイクがかかっているような(根拠のない)安心感が湧いてくるのだ😄

 

顔の造作はさておき、仮に政府が「マスクは要らないよ」と言い出したとして、欧米のように日本国中サッと外すとも思えない。

 

例えば、デパートやレストラン、商店、美容院などで、従業員が全員マスクをしている店と、全員マスクをしていない店があったら、日本人のお客はどちらを選ぶだろうか? 

おそらく欧米と逆の結果になるのではないだろうか?

 

😷しなくなっても、きっと皆、ポッケに入れて持ち歩くと思う。

日本人がマスク離れする日は、まだまだまだまだ先になりそう🤔

ガラスの邸宅

風情のある日本家屋と樹木の青々と茂るお庭🏡

その周りに突如、無機質なフェンスが築かれたかと思うと、「建築計画のお知らせ」のパネルが掲げられ、工事が始まる。

フェンスが外されると、ピッカピカのマンションが現れる🏢

この情景をかれこれ四半世紀、絶えることなく目にしてきた。

 

その間、フェンスの外側(こちら側)には、決まってガードマンが立つ。

工事人は工程によって変わるが、ガードマンはたいてい同じ人だ。1年以上顔を合わせるので、お互い顔を覚えてしまったりする。

往復はスーツを着ていたりすると、道でお辞儀されても、「?」。家に帰って、「あー、あのおっちゃんかぁ」と感動することもあった(立派な紳士だった😯

 

父が元気なときも、角に立っているおっちゃんと仲良くなって、夏になると「暑い中、大変ですねー」などと言葉を交わしていた。

 

タワマンの現場には、若いお姉さんが立っていたこともあった。

決してラクな仕事ではない。皆それぞれに事情があるのだろう。

 

ある電機会社の社長夫人が亡くなった。

お家は取り壊され、有名建築家の息子がそこに何かを建てることになった。

ガードマンは足の悪いおっちゃんだった。

暑い日も、寒い日も、雨の日も立っていた。

私がコートのベルトを引きずって歩いていたら、注意してくれたこともあった(その節はどうも🙇‍♀️)。

ある日気がついてみると、おっちゃんが立っていた場所に綺麗な花が咲いていた🥀

 

1年以上経って、フェンスの中から4階建てのガラスの邸宅が現れた。

建物自体がオブジェのよう。外回りはガラス張りで、ビルのあちら側が透けて見える。賃貸マンションだった。

お家賃、月75万円らしい。

 

5月吉日、お披露目会が盛大に催され、エントランスには花束が飾られ、コギレイな身なりの関係者が多数出入りしていた。

ガードマンのおっちゃんの姿は気がつくと消えていた。花が咲いていた場所は外装工事で駐車場となり、高級車が鎮座していた。

 

ガラスの邸宅では、どんな人がどんな生活を始めるのか、私には見当もつかない。

 

確かなのは、そこにはかつて趣きのある木造住宅が建っていたこと、外壁に絡まる蔦の葉が秋になると美しかったこと、その中から素敵な歌声が聴こえてきたこと、オシャレな老婦人が住んでいたこと、そして暑い中マスクをしながら汗を流して働いていた人のおかげでその邸宅が建ったことそんなことに思いを巡らせることもなく、騒音と振動に耐え、度重なる通行止めに遠回りを余儀なくされた住民を窓越しに見下しながら、引越し祝いのシャンパンに酔う🥂そんな人たちがまた、この街に増えるということだ。

 

そしておっちゃんは次の現場で、新たな夏を迎える。

失われた言語

テレビでウクライナの人たちが「もうロシア語は絶対に使いたくない」と言っていた。

 

私たちからするとロシア語もウクライナ語も、キリル文字を使っているし、音も似ていて区別がつきにくい。

実際、ウクライナの人たちも両方の言語が使える人たちがほとんどで、ネット検索はロシア語などと使い分けていたらしい。

 

が、このような事態になると、言語の位置付けが、コミュニケーションツールと言うより、民族のアイデンティティを表すものになる。

 

日本も戦時下は英語起源のことばは「敵性語」とされ禁止されたと聞いた。

野球用語もストライクは「よし」、三振は「それまで」など

父は「おかしな話だよね」と平和に笑っていたが、実際戦争となると、家の上に爆弾を落とす人たちが使っている言葉は排除せよというのは決して「おかしな話」ではないと思う。

 

戦後、負けた日本が英語化されなかったのは本当にありがたいことだった。

 

言語を失うことは民族アイデンティティの喪失にもつながる。

ということで私は、英語はAIに任せて、人間は美しい母国語の習得を第一にすべきと思う。

 

日本人は開国以来、輸入されてくる言葉にどんどん日本語を対応させていった。

英語のpresidentを「大統領」としたのは名訳だと思うし、映画のタイトルも、科学の言葉も、全てどこかの誰かが訳語をつけ、それを日本国中に広めた。科学の言葉に対する訳語がこれほど付けられているのは、日本くらいだと聞いたことがある(他の国は英語をそのまま使っているという)。

 

聞いたところによると、一時は小説の人名まで日本語に訳したという。

「ハイジ」に出てくる「ピーター」は(確か)「一郎」だったと思う。笑っちゃうような話だけど、私はこのアイデアに大賛成だ。小説に登場する名前には、作者の思い入れがあったり、名前から受ける印象がストーリーに反映されることがあるからだ。

 

知人に語学の達人がいた。

高校生のときすでに英検一級を取得し、東京外語大在学中に通訳の仕事をしていた。卒業後は世界をあちこち回っていろいろな仕事をし、某国のスパイにリクルートされたこともあったらしい。

 

晩年はコンピュータ関係の翻訳をしていたらしい。

が、もしかしたらそれは仮の姿で、実はスパイだったのかもしれない。なんせ彼女の家のすぐ近くに、公にされていない米軍の施設があって、大統領もそこを使って東京に入って来ていたらしいし。

 

presidentが「大将軍」ではなく「大統領」になった経緯も彼女から聞いた。

ロシア事情にも詳しく、10年以上前に、ウクライナとロシアの関係についてメールに書いてもらったこともあった(キレイに忘れてしまいました。ごめんなさい)。

 

このような情勢下、彼女のレクチャーをもう一度聞けたら面白いだろうと思うのだが、数年前に認知障害を発症し、今では日本語も出てこないらしい💧

 

あの知識は全てどこへ消えてしまったのだろうと思うと、虚しくも悲しくもなる。