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「ラスト・ソング」のその後

アジア・レポート

父は、NHKラジオ第1放送の「ラジオ深夜便」をよく聴いていた。

朝、「〇〇さんが面白い話をしていた」とよく言っていたが、私は「ふーん」程度に聞き流していた。

 

私も歳を取り、寝つきが悪くなったり、深夜に目覚めるようになると、ラジオのスイッチを入れるようになった。人間の声を聞くと、なぜか安心してよく眠れる。

 

ラジオ深夜便」はトーク、音楽バラエティに富んでいて、時々すごく面白い。

でも何故か、「面白そうだから聞こう」と耳を澄ましていると眠ってしまう。

そして何故か、トークの終わった頃にもう一度目覚める。

「(午前)4時台は〜です」と予告されても、起きて待っていることはできないし、4時に目覚めるというのも不可能。

 

と言うことで、NHKラジオのアプリを導入した。

聴き逃した番組を聴ける。これで面白そうなトークは(翌日以降の)隙間時間に聞けるようになった。

めでたし、めでたし🤗

 

さて「ラジオ深夜便」では、ワールド・ネットワークとかアジア・レポートというコーナーがあり、外国に住んでいる日本人が、今のその国のホットなトピックスを電話で話してくれる。私は、このコーナーが大好きだ。

 

実は、ある国のレポーターが、私の前の職場の同僚のお嬢さんだ。

 

その同僚は、「手作り人形劇」を自宅で開催していて、旦那様が脚本を書き、彼女が人形やセットを手作りして、当初は近所の子供たち、最後の頃はご夫婦の職場の人達まで招いて、個人としてはかなり大掛かりな人形劇場を催してくれていた。

 

自分の子供たちを楽しませるために始めたようだが、子供たちも大きくなり、私が観に行った時は、子供たちがお手伝いにまわっていた。

終演後は宴会となり、ご家族を囲んで呑んだ🍻

(この夫婦、そろってザルだった🤪

 

というわけで、彼女の子供たちとは面識があった。

その後、長男さんは世界を放浪の旅で回り、体験談を本にした。

長女さんはアジアの国の方と国際結婚した。

 

お子さんたちの名前は記憶に残っており、アジア・レポートで名前を伺って「!」とすぐにわかった。

ラジオでは、コロナ禍の中、外国で子育てする苦労をお話しされていた。

 

アプリのおかげで聴き逃しの心配もなくなった。

今後も楽しみにしています💛

日本橋の老舗弁当 

父は、日本橋弁当屋のお弁当が大好きだった。
都内のデパートでも売っている、老舗弁当店の、フツーの値段のモノだった。

私が子供の頃から、そしておそらくは父が幼い頃から、その内容は大きく変わっていない。
メカジキの照り焼き、卵焼き、煮物、蒲鉾・・・、「映え」とはほど遠い、醤油色したお弁当は経木のお弁当箱に入っていて、父は経木の香りのうつったご飯も愛していた。

私にはそのお弁当の良さがずっと分からなかった。
350円のホカホカ弁当のほうが美味しいとさえ思っていた。

お正月には決まって、その弁当店のお節料理の折り詰めを買った。
デパートの予約用の写真の中でも一番地味で、やたら昆布巻きが大きくて、私はあまり好きではなかった。

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季節限定、タケノコご飯バージョン🍱

 

そのお弁当を見直したのは、仕事で担当した「お弁当の細菌検査」だった。
職務上知り得た秘密は漏らしてはいけないのだけれど、もうかれこれ30年近くも前のことだし、何より良いことなので、ちょっと漏らさせていただくと、そこのお弁当は群を抜いてキレイだった。
保存料の類いは一切使っていないのに、細菌が殆ど検出されなかった。
なので、その店のお弁当は常温で保存しても、一日食べられる。

これは丁寧な調理過程によるものだ。
衛生的な環境で、丹念に火を通し、経木のお弁当箱に詰めることで、保冷剤などを必要とせずに食中毒を防ぐことができる。一般の人がまねをすると、火を通しすぎたり味が濃すぎたりするが、そういうことが一切ないのも老舗ならではの知恵の積み重ねだと思う。

そして私も年を重ね、鶏の唐揚げより焼き魚を美味しいと思うようになり、煮物に味を美味しくて染み込ませる苦労を実感して、その店のお弁当の旨味が分かるようになってきた。

残念ながら、一般の人たちはかつての私と舌のレベルが同じようで、その弁当屋は年々取扱店が減っている。お店でも常連さんばかりで、新規の若いお客さんは興味すら示さない。

歌舞伎座の近くで営業していた兄弟店は、たしかコロナの影響もあって1、2年前に店を閉じたと聞いた。日本橋のこちらの店はどうにか持ちこたえている。

今では「BENTO」は国際語となり、弁当は日本の誇るべき文化となっている。
その弁当を代表する、この店の幕の内弁当の火は、消えさせてはいけないと思う。

花の下にて曾祖母を思う

朝ドラ「カムカムエブリバディ」が今週、最終回を迎える。

100年3代にわたる物語。
最初は、安子の苦労物語・・・かと思いきや、気がつくと"ひなた"のコメディー・ドラマになっていて、最後は感動で幕を閉じ・・・ようとしている。あまりのトーンの変わりように、少し戸惑った。

が、これは、どこの誰にも当てはまる物語だ。

川栄李奈さん演じる"ひなた"が、ざっくり私と同世代。何の苦労もせずのほほんと育ったところに共通のものを感じた。
深津絵里さん演じる、"るい"は苦労を抱えながら、高度成長期を駆け抜けた。
二代遡って、上白石萌音さん演じる安子は戦争を体験し、夫を失い、家族を失った。

便利なモノに囲まれ、私たちは(少なくとも今日までは)安全でのどかな日々を送っている。
でも、私たちのご先祖様たちは、日本中どこに住んでいても、どのような暮らしをしていても戦争を経験した。それも遠いご先祖様ではない。私たちと同じ時を生きている、たった二代の先輩達だ。

それはちょうど今のウクライナの姿とも重なる。
ブチャのような虐殺はなかったとは言え、米軍の焼夷弾は日本の家屋をよく燃やすように開発されており、多くの都市が焼け野原になった。東京大空襲では祖父母の家も焼け、あちこちに遺体が積み重なっていたと聞いた。安子のように、夫や父親を戦争で失った人も多い。

そのような状態から、家を建て直し、生活を立て直し、数々の苦労を耐え抜いて命をつないでくれたからこそ、今の私たちが存在して豊かでキレイな生活を送れている。
逃げ遅れていたら、復興を諦めていたら、今日の私たちはいないし、日本もない。

さらに祖母は関東大震災も経験した。赤ん坊を負ぶって幼い子供たちの手を引き、お櫃を抱えて(お昼時だったので)避難したと、何度も聞かされた。そこで祖母が何かの下敷きにでもなっていたら私は存在すらしない。

私たちはたまたまここに存在しているわけではない。
辛かった時代をたくましく生き抜いてくれた先祖たちがいるから、今の日本がある。
それはどの家庭でも、どんな人でも同じ。
折あるごとに先祖に思いをはせ、今の生活を感謝しなければいけないと思った。

4月10日は曾祖母の命日。
今より桜の開花が遅かったであろう、昭和21年。桜の花の下でなくなったのだろう。
合掌。

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